――それこそ『虎に翼』のなかで、寅子とは学生時代からの親友で兄・直明の妻でもある花江との関係が、寅子の置かれている状況によって変化していくのが印象的でした。いつ何時も一番の理解者である唯一無二の存在、というのとは少し違っていて。

吉田 この人じゃなきゃだめなんだ、とべったり寄りかかりすぎる関係は危ういなって、私自身、感じているので。でもだからといって、そこに濃密な絆がないわけではない。

女性同士の関係性を描くときに、そのあたりの塩梅をうまくとらえきれないまま「女だから〇〇だ」という変な同調圧力をかけたものをシスターフッドと表現することにも違和感があるので、ここ数年、なにかにつけ「ああ、シスターフッド的なやつね」と作品をひとくくりにされる感じにも、実はちょっと抵抗がある。

山内 わかります。私がデビューした2012年にはまだシスターフッドという言葉は誰にも通じないマニアックなものでした。私は「女同士の友情」って呼び方をずっとしていて、自分のなかに概念としてはあったから、「こういう小説を世の中に増やしていくことが自分の使命なんだ」という思いで書いてきました。

2010年代後半からフェミニズムとともにシスターフッドの概念がだんだん広まって、言葉として認知されるようになったのは2020年代に入ってから。帯のコピーにも使えるようになるとジャンル化が進んでいって、もやもやしはじめてもいました。シスターフッドをあまり礼賛的に描いた話ばかりだと、友達がいない人に劣等感を抱かせてしまわないかな、とか。

吉田 山内さんの『一心同体だった』(2022年)という小説も、環境や年齢によって、そのつど「親友」だと思える存在が変わっていくという連作ですよね。

山内 はい。私の観測では、十代からずっと同じ女友達とスペシャルな関係性をキープできるのは、都内の中高一貫私立女子校の子たちだけなので。地方の公立校は卒業と入学で人間関係がリセットされるし、卒業後に地元に残るか県外に出るかでまったく違う人生になりますから。

市民権を得た「シスターフッド」の現在地と、その先 山内マリコ×吉田恵里香_3

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