ウクライナ在住20年の思い

そもそも、ロシア軍が2月24日に全面侵攻した直後のオンライン取材では、こう語っていた。

「24日午前5時ごろにドーンという爆発音が1〜2発聞こえて目覚めました。いよいよ戦争が始まったんだなと。でも、眠かったので、また寝てしまいました。以前、東部のドンバス地方でボランティア活動をしていた際に何度も爆発音を聞いていたので、慣れているというか…」

戦火のウクライナに留まる邦人男性-「この国を見捨てられない」思いとは_2
4月下旬にミサイルが着弾したキーウの高層ビル

ウクライナ在住20年という「経験値」が、多少の攻撃でも冷静さを失わない、現在の中村さんを作り上げているのだろうか。

外務省によると、ウクライナに在留する日本人は昨年12月時点で251人だった。戦争が勃発した直後の2月末には約120人まで減り、大半が西部の都市リヴィウなどへ避難した。このため、キーウに残留し続けたのはわずか数人。そのうちの1人が、中村さんだった。日本大使館の職員からは再三、電話で避難を勧告されたが、従わなかった。その理由について中村さんはこう説明する。

「ウクライナにおける今までの生活を振り返ると、この国を見捨てられない思いがあるんです。民主化を進めてきた欧米の人々は、情勢が緊迫化してきたら一目散に避難した。それはどうかなと。僕自身はこの国に長年お世話になっていますから、逃げる時は彼らと一緒です」

その言葉通りの思いを貫いてきた。

神奈川県横浜市生まれの中村さんは、兄との2人兄弟。幼い頃から転勤族で、小学校5年生の時に父親が他界したため、母の手1つで育てられた。