70年万博は「人生で一番興奮した」
会場の奥まで進むと、鮮やかな色合いと奇抜なデザインのパビリオンの衣装がズラリと並ぶ。なかには世界的デザイナーのコシノジュンコさんや故・森英恵さんが手掛けた衣装もあり、その一部も白井さんが収集したものだ。
「近所の人から譲り受けたり、『開運!なんでも鑑定団』(テレビ東京)に出演して募集した衣装もあります。それで40着ほど集まりました。かなり高額なものもあったんやけど、どうしても欲しいと思ったら、お金は惜しまんかったわ」
と笑顔で語る白井さん。いったい、万博の何がここまで白井さんを沼らせるのか。率直に聞いてみると、
「そんなん話すと長すぎるわ…(笑)」
と照れながらも、ハマったきっかけは70年万博の誘致が決まった1965年にまでさかのぼるという。小学6年生で関連イベントに参加したことをきっかけに興味を持つようになり、「万博」の文字が入った新聞記事をスクラップしたり、大阪府池田市の自宅から自転車を漕いで、何度も会場予定地を見に行ったという。
「大阪の街が万博に向けて生まれ変わっていく様子を肌で感じて、ワクワクが止まらんかったんです。開幕したときは高校入学前の春休みで、翌々日ぐらいに会場まで行って、開会式に使われた紙吹雪を集めにも行きました(笑)」
会期中は30回ほど会場に遊びに行き、万博会場に入るため、夏休みを利用して会場内のレストランでアルバイトもした白井さん。バイトの合間をぬって全パビリオンを訪れたというが、その中でも一番衝撃的だったのが「三菱未来館」だったという。
「気象をコントロールして海底都市に住むという50年後の日本の姿を多様なスクリーンを駆使して映し出していたんです。まるでタイムマシンで近未来に来たようなSFさながらの世界観が広がっていて…非常に感激した記憶があります。
海外への憧れが強かった時代に、世界77カ国が一気に大阪に集まる衝撃や、会場内の熱気と歓声、そしてそこにそびえ立つ太陽の塔…、今でも『人生で一番興奮した』と言えるぐらい忘れられない瞬間です」