『不条理日記』が提示したSFの楽しみ方
78年と79年、吾妻ひでおは二系統の重要な作品群を生み出した。ひとつは『不条理日記』をはじめとするSFシュールギャグ漫画であり、もうひとつは《純文学シリーズ》などの美少女(ロリコン)漫画だった。
しかも吾妻は、「不条理日記」の続編を『劇画アリス』という自動販売機で販売される三流劇画雑誌に、《純文学シリーズ》を同じく自販機雑誌の『少女アリス』に発表した。大手の少年漫画週刊誌に連載を持っている漫画家が、同時にそうした底辺誌(というヒエラルキーが業界にはあった)に描くのはあり得ないことだった。
これらは80年代初期に顕在化し、以後の若者文化やメディア産業に大きな影響を与える「おたく/オタク/ヲタク」の発生に関わるものだった。吾妻がここで若者に示したのは、SF・ロリコン・二次コン(二次元コンプレックス)だった。
私見では、おたくとは本来この三つが重なるところに発生する情動である。煩雑になるが重要な問題なので、以下、やや詳しく見ていきたい。
まずSFについてだが、もともとSF好きだった吾妻は、『別冊奇想天外NO.6 SFマンガ大全集PART2』(一九七八年一二月)に、「不条理日記」というシュールなギャグ漫画を描いた。
この作品は「〇月〇日 何々があった」という日記仕立てになっており、日々の光景という形で、筒井康隆のいくつかの作品や、フレデリック・ポールの「22世紀の酔っぱらい」、映画『自転車泥棒』、オールディス『地球の長い午後』、ポー『ウィリアム・ウィルソン』、フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』、ハリイ・ハリスン『宇宙兵ブルース』……など、ほぼ一コマごとに何らかのSF作品のパロディを展開していた。
大蛇が数コマかけて部屋を通り抜けていくだけの逸話もあり、蛇神信仰も押さえている。
当時のSFファンには、SFブームで自称ファンが増えていたことへの反発があり、「本当のファン」と「映画やアニメしか見ていないニワカ」の区別に厳しく、吾妻のマニアックな作品に強く反応した。マニアはペダントリー(衒学趣味)や内輪ネタが好きなのだ。それは〝仲間〞の合図のようなものだから。
「不条理日記」は最初、短編として描かれ、その後『劇画アリス』で〈しっぷーどとー篇〉(79年5月)、〈回転篇〉(同年6月)、〈帰還篇〉(同年7月)、〈永遠篇〉(同年8月)、〈転生篇〉(同年9月)と続き、『奇想天外』(1979年11月号)に〈SF大会篇〉が、さらにだいぶ経ってから「不条理日記2006」(『COMICリュウ』2006年11月号)が描かれている。
ちなみに現在、最初の「不条理日記」は〈立志篇〉と呼ばれているが、当初は続く予定ではなかったのか、単に「不条理日記」だった。
単行本『不条理日記』(奇想天外社、1979)は、第一八回日本SF大会で、SFファンが選んだ年間ベスト作品に贈られる「第10回星雲賞コミック部門」を受賞している。授賞式で吾妻は「あれ(『不条理日記』)はヤケッパチになって描いただけで……」というようなことを言っていたが、作品を外部から眺める冷めた自己批評があった。
決してSF大作とはいえず、新しいオリジナルの発想があるのかというとそれすら疑問だが、SFマニアの深層心理を露わにし、SFと戯れることの喜びをてらいなく表現したという意味で画期的だった。いわば吾妻は、SF名作の新たな楽しみ方、さらには現実や妄想との新たな付き合い方を生み出したのだ。
文/長山靖生