「1/100の手紙」から始まった挑戦

今から5年前の2020年。大阪の実家を間借りして創業した会社の仲間たちと、キャンピングカーを借りて山深い長野県南木曽(なぎそ)町へ向かった。

自分たちの最初の取引先となる工房を求めての旅だった。訪ねたのは「ヤマイチ小椋ロクロ工芸所」の小椋一男さん。「南木曽ろくろ細工」の熟練の職人だ。

小椋一男さん(「ヤマイチ小椋ロクロ工芸所」伝統工芸士)
小椋一男さん(「ヤマイチ小椋ロクロ工芸所」伝統工芸士)
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僕たちは当時、日本の優れた伝統工芸品をネット経由で海外に紹介・販売するために起業した。とは言っても、何の伝手(つて)もない状態でのスタート。まず自分たちがここだと勝手に厳選した全国の100の工房に、手書きで取引依頼のラブレターを送ったのだった。結果、お返事をいただけたのは1通のみ。それが小椋さんで、僕らは彼を訪ねた先で、その人柄や手仕事への取り組み方に惚れ込んでしまった。

「南木曽ろくろ細工」は、トチやケヤキなどをスライスし、ろくろで回しながらカンナで削り出す精巧な手仕事だ。小椋さんは材料の木目を見ながら「この木は素直な子だね」「この木は逞しい!」などと、ニコニコしながら気さくに説明してくれた。

また「木と向き合っていると、同じ桜でも『こんな桜があったんだ』って発見があるんだよ。この桜ならこんなモノが作れるんじゃないかなって、新しいことを考えられるようになる!」と話してくれた。

小椋さんによるケヤキの木皿。一品一品、自然の美しい木目を活かしている
小椋さんによるケヤキの木皿。一品一品、自然の美しい木目を活かしている

同じ樹種でも一つひとつの個体に性格があり、そうした自然を活かし、自然に活かされるモノづくりの豊かさを教わった気がした。そして奥様のマキさんは、まだ何者でもない僕たちを長野の郷土料理で温かく迎えてくれた。その後も、工芸や人との向き合い方において「何かあったらここに帰ってこられる」と思わせてくれるお二方と最初に出会えたことは、大きな財産となった。

僕たちの会社「KASASAGI(カササギ)」は、日本文化に宿る美意識を世界に橋渡しすべく、その歴史・文化・自然の資源を活かしたプロデュース事業を展開している。

たとえば、富山の「高岡銅器」や京都の「西陣織」など伝統工芸の技術を、現代のホテル、飲食店、住宅などの内装に応⽤することで、豊かで心地良い空間を生み出す仕事。

また、着物に家紋を描き入れる紋章上繪師(もんしょううわえし)の世界にデジタル技術を取り入れた「京源」さんとは、自動車ブランドのためのアート作品制作を通じて双方の世界を広げられた。設立時に始めた伝統工芸品の海外EC事業も、課題克服を目指して継続中だ。

家紋を描く技法を応用した紋曼荼羅で描くレクサス車。
家紋を描く技法を応用した紋曼荼羅で描くレクサス車。

現在では、当時お返事をいただけなかった99の工房ともお付き合いさせていただけるようになった。実際にお会いすると、多くの方から「突然の手書きの手紙で、ちょっと怖くてそのままにしちゃった(笑)」と言われたが、今では普通にLINEなどでやりとりしている。

こちらが勝手に、職人さんたちは携帯など使わない世界にいると思い込んでいた(なんだ、職人さんスマホ持ってんじゃん。初めからメールすれば良かった!)。でも結果的に、手書きで良かったとも思う。最近、ある職人さんが今でもあの手紙を持ってくれていることを知った。

その後も職人さんと膝を突き合わせてものづくりに向き合ってきた。今、当社は日本で一番、職人さんたちとのつながりが豊かな会社だと自負している。そのなかで得られた、地域やものづくりに関する知見、作り手さんとの交流は、これからの社会を生きるうえで大切にしたい多くのことを僕に教えてくれた。