笑えない陰謀論の話
陰謀とは、密かに計画される悪事のことです。表では公正な競争を装いながら、その裏で企てられる談合のようなケースが該当します。
近頃、随分とネガティブなニュアンスがついたものの、この陰謀や陰謀論という言葉そのものは、本来であればもうすこし気軽に使用できたもののはずです。
しかし、そうも言えなくなってきました。
アメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件、ハインリヒ13世を名乗る貴族出身の男が起こしたドイツクーデター未遂事件、そして日本国内におけるワクチン接種会場への不法侵入事件等、陰謀の可能性を考えるのではなく、それを真実であると確信した人々による反社会的活動が後を絶たないからです。
現行法に優越する真理を確信する者たちの反社会的行動が、もはや民主主義を危機に陥れているのは明らかです。
そこで本書では、推測に過ぎない陰謀を真実だと確信し、しかも社会や他者にそれを強要する者を「陰謀論者」とし、そして彼らが確信するその説を「陰謀論」と鍵括弧をつけ記すことで、意味を限定して使いたいと思います。
彼らの思考回路を理解するためには、推理小説やサスペンスドラマをイメージすればよいと思います。
これらの作品では、次から次へと不可解な出来事や情報という「点」が見つかっていきます。この怪しい「点」が蓄積されていった中盤から終盤にかけて、「点と点が繋がって真犯人が見つかる/謎が解明される」というカタルシスがあり、しかもそこから霧に包まれていた視界が広がるように、一気に物語は全貌を現します。
安倍晋三元首相銃撃事件を例にとって説明すると、たとえば「山上容疑者の立ち位置からは右前頸部に銃弾を当てることはできない」「動機が不可解」といった数々の疑問という名の「点」と、「現場付近のビル屋上にあった白いテントが事件からほどなくして消えている」
「山上容疑者による銃声を調べると空砲であった」といった、あたかも推理小説におけるヒントのような怪しげな「点」が繋がることで、「山上容疑者の銃撃は空砲だ。
確たる動機を有した真犯人に依頼されたスナイパーが、白いテントから狙撃したに違いない」といったように、まさに推理小説やサスペンスドラマのような一つのストーリーが完成してしまうわけです(もちろん、これらの「点」には多くの虚偽が含まれています)。
こうしたコミュニティには、同じような考えを持った人々が集うため、やはり似たような情報が次から次へと流れ込んできます。
能動的に検索して情報を得ることもありますが、アルゴリズムにより自らが求める情報が選別されるわけなので、結局のところは受け身の状態で都合のよい情報を受け取っているのと大差ありません。
そして、数多の真偽が不確かな「点」を積み重ねるうちに、あたかも点と点が繋がるように一つの線でストーリーが繋がってしまい、そのことをもって点たちには信憑性があると認識してしまうわけです。
もちろん、繋がったからといって正しいとは全く限りません。