スマートフォンもSNSもなかった「あの頃」
『ぼくのお日さま』は「現在より少し前」の時代設定だという。奥山監督が幼少期を過ごした2001年頃をベースに世界観を作り上げたため、スマートフォンやSNSなどは一切登場しない。
「普遍的な“ちょっと昔”を描きたかった。2001年を決定的に表象する描写はいれていませんが、当時のフィギュアスケートの扱われ方、マイノリティ含めいろんなものに対する価値観や違和感を再現しようとしました。ノスタルジーの雰囲気を作りたかったんです」
「当時、自分はフィギュアスケートを習っていたのですが、競技人口が今と比べてかなり少なく、友だちにフィギュアをやっていることをどこか知られたくないと思っていました。『男なのに』といわれるのが嫌というか」
羽生結弦選手が活躍する前夜、スケートリンクに立つ少年は、少女に比べるとごくわずかだった。劇中でもフィギュアスケートの練習に奮闘するタクヤに対して、「女子がやる競技」と言葉に表すシーンもある。ノスタルジーは甘美な思い出だけでは成立しない。
「あと少しでうまくいくときに瓦解すること」が多い現実の中で
荒川の指導のもと、少しずつ息があっていくタクヤとさくら。練習を重ねて3人は絆を深めていくが、雪が溶けはじめる頃、ぱたりと途絶える。さくらは荒川にひとこと残して消えてしまうのだ。
「このシーンは、台詞も撮り方もものすごく悩んで、時間をかけました。何回もテイクを重ねて、台詞を削ったり池松さんからアドバイスをいただいたり……。
さくらの感情が自分の意図しない形で、言葉として出てしまう感じと、子どもが持っている純粋さゆえの残酷さを描くことに挑戦してみたいと思っていました」
SNSでは「大団円を迎える3人の姿を見たかった」という声もある。奥山監督はなぜ、痛みを残す選択をしたのだろうか。
「“あと少しでとても幸せになれる”という状況で、ふいに瓦解することって、人生でよくあると思うんです。幸福な状態が見えていたからこそ、痛みも大きくて、その瞬間、人生のどん底にいるような感覚になってしまう」
「僕自身がそういった痛みを、映画を通して体験してきたことで、免疫ができて、現実の世界でつらいときにも乗り越えられてきました。自分が映画を作るときは、そういった痛みを描きたいと思っています。痛みを描いているからこそ、観る人が抱える痛みに寄り添えることもあると信じています」
現実は上手く行かないことの方が多い。差別も偏見もなくなることはないのかもしれない。ただ、厳しい現実に対して想像力があれば、傷が少しやわらぐ。
痛みからは、立ち直らなくてもいい、乗り越えなくてもいい。 映画『ぼくのお日さま』は、光の中に包みこまれたような映像の中で、そう語りかける。
取材・文/嘉島唯 撮影/石垣星児
〈作品詳細〉
『ぼくのお日さま』
吃音のあるアイスホッケー少年・タクヤ(越山敬達)は、「月の光」に合わせフィギュアスケートを練習する少女・さくら(中西希亜良)の姿に、心を奪われてしまう。
ある日、さくらのコーチ荒川(池松壮亮)は、ホッケー靴のままフィギュアのステップを真似て何度も転ぶタクヤを見つける。
タクヤの恋の応援をしたくなった荒川は、スケート靴を貸してあげ、タクヤの練習をつきあうことに。しばらくして荒川の提案から、
タクヤとさくらはペアを組みアイスダンスの練習をはじめることになり……。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――監督・撮影・脚本・編集:奥山大史
出演:越山敬達、中西希亜良、池松壮亮、若葉竜也、山田真歩、潤浩ほか
主題歌:ハンバート ハンバート
本編:90分
配給:東京テアトル
(C)2024「ぼくのお日さま」製作委員会/COMME DES CINÉMAS
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