「吃音がある人たちも、接客業に対する憧れは普通の人と同様にある」
“注文に時間がかかるカフェ”(以下、注カフェ)は普通のカフェと変わらない。唯一、店員が発話しづらかったり、注文のやり取りに時間がかかってしまったりする点を除いては。ゆえに、「ご配慮いただきたいこと」として、その一般的な対応が同店のホームページ上でも示されている。
発起人である奥村さんが自身の吃音に気づく端緒となった出来事は、切なく悲しい。
「小学2年生くらいまで自分では話し方が変だとわからなかったんです。しかし、クラスの友達を介して、授業参観で国語の音読を見たその子の親が、『奥村さんは話し方が変だ』と言っているのを知りました。さらに、『奥村さんとはあまり仲よくしないほうがいいかもしれない』とも言われたと聞いて、ショックでした。
もちろん、クラスメイトの保護者のなかには医療従事者もいて、『吃音は感染しない』などと正しい主張をしてくれたこともありましたが、その出来事は自分のなかでとても衝撃的でした」
思春期にはこんな辛酸も舐めた。
「中学生のころ、自己紹介の時間がありました。私は“あ行”の発音が苦手なのですが、姓名どちらも“あ行”から始まるので、とても時間がかかってしまいました。すると、『早くしろ、進まないだろ』という怒号とともにゴミを投げられました。
そんなこともあって吃音に対する周囲の視線が気になりすぎて、やがて人前に出るのが憂鬱になりました。たとえば、長期休みの宿題で描いた絵がうまくできたのですが、選出されると学年集会で表彰されてみんなの前でなにか喋らなくてはならないので、わざと上から塗りつぶして下手に描いたものを提出しました」
吃音と向き合う日々は、いつしか奥村さんの日常から積極性を削いでいった。さらに成長して大人になってからも自己紹介に対する苦手意識は、就職活動においてもかなりの不利を強いられた。
「自己紹介にはかなり苦しめられました。名前を言うだけで自己紹介の制限時間を使い切ってしまったこともあります。結局、200社に落とされました」
吃音を抱えながらも、奥村さんがカフェをやりたいと思った根底には、こんなきっかけがある。
「前提として、吃音がある人たちも、接客業に対する憧れは普通の人と同様にあるんです。私も幼少期から、カフェをやりたいなと思っていました。ただ確かに、スムーズな意思疎通ができないことで、障壁になることはわかっていました。
海外留学をした際に、とあるカフェで言葉が通じなくても身振り手振りで意思疎通をしている様子をみて、『そういう接客のあり方もあるんだ』とひらめいたんです」
はたして、その発見は功を奏した。
「注カフェを始めてみると、まず吃音当事者のなかに接客業をやりたいと思っていた子が多かったことに気づきました。驚いたのは、お客さんからも『外国人だからゆっくり注文できていい』『優柔不断な性格だから、急かされなくていい』といった前向きな声があったことです」