戦火だけではない「普通の生活」から伝わること

著者の庭田杏珠さんと渡邉英徳さんが、共同プロジェクト「記憶の解凍」などを通して集めた写真の数は膨大だ。その中から掲載する写真の選定にも気を配ったという。

「写真を選ぶ基準は何点かありましたが、とにかく“暮らし”が分かるものをちゃんと入れましょう、という話をしましたね。普通に選ぶと、どうしても戦闘機や戦艦の写真ばかりになってしまうんです。それだけではなく、軍人などではない銃後(一般国民)の人々の生活が分かる方が、より伝わるものがあるのではないかと思いました。

カラー化した時に目を引くようなもの、いわゆる“映え”ももちろん意識しましたが、できるだけ全国各地の写真を並べたり、海外も含め、歴史的に見て重要な事件に関わる写真も掲載することで、幅広く訴えかけるものにしたかったのです」

【写真多数】〈終戦78年〉出撃前の特攻隊、原爆のきのこ雲、火炎放射器で焼かれる沖縄―。AI技術と対話をもとにカラー化した写真が繋げる“過去と現在”_2
1937年ごろ。広島市の名所「岩鼻」で撮影された、久さんと母よしこさん、弟の力(つとむ)さんの写真。「岩鼻」は、現在の東区矢賀の高台にあった。久さん自身は江田島海軍兵学校にいて無事だったが、原爆で家族全員を失った(高橋久さん提供)

今と“地続き”になる…写真のカラー化で繋がる過去と現在

そうして選ばれた写真は全て、AIで自動色付けの後、関係者への聞き取りや図鑑での照合を経て手作業で調整されたものだ。

「AIが自動カラー化した画像は、一見そのまま使えそうなほど"それっぽく“なります。しかし実のところ、服装や軍人の徽章、原爆のきのこ雲など、"それっぽく"なっているだけで、実際とは異なるところも多いのです。

それらを修正するためのアプローチはさまざまです。資料を確認したり、専門家の知恵を借りたり、当事者と対話したり。地道な作業で場合によっては一枚の写真のカラー化に数ヶ月かかる場合もあります。著者の二人はこうしたプロセスを通じた、"なぜ"カラー化するのかという意味の部分をとても大事にしています」

【写真多数】〈終戦78年〉出撃前の特攻隊、原爆のきのこ雲、火炎放射器で焼かれる沖縄―。AI技術と対話をもとにカラー化した写真が繋げる“過去と現在”_3
現存する「本通り」商店街にて、戦前に撮影された写真。本通りは、中島地区と新天地を結ぶ通りとして賑わい、両側に並ぶ広島名物の鈴蘭(すずらん)灯は、通りを歩く人々の目を楽しませていた。しかし、戦況の悪化にともなう金属供出によって姿を消した
【写真多数】〈終戦78年〉出撃前の特攻隊、原爆のきのこ雲、火炎放射器で焼かれる沖縄―。AI技術と対話をもとにカラー化した写真が繋げる“過去と現在”_4
奥にみえる旗は「仏旗」であり、諏訪さんの証言をもとに色補正を施している(故・諏訪了我さん〈浄寶寺〉提供)

対話と調整を積み重ねてカラー化された写真が、多くの人の心を捉えるのはなぜなのか?

白黒の世界で「凍りついて」いた過去の時が「流れ」はじめる――著者の渡邉英徳さんは本書中でこう表現している。そこに映る人々に体温を感じ、今の自分と繋がる。

担当編集者の高橋さんが考える、カラー化写真の“意義”とは。

「写真をカラー化することで、“想像力が繋がる”ような感覚が生まれます。例えば、特攻隊の写真を改めて見た時、同じ時代に生きていてもおかしくない、ただの若者や少年だったんだ、と感じました。彼らの境遇や気持ちを想像し、他人事じゃなくなるんです。

私たちが5年前・10年前のことを考える時、確かに『現在まで続いている』と感じるのに、80年前の話になると急に時の流れが途切れてしまうのは何故でしょうか? この本の中では『地続きになる』という言い方をしているんですけど、戦争というものが切り離された世界の出来事ではなく、戦前〜戦中〜戦後という流れの中で今と繋がっているんだ、と感じられるところに、カラー化の意義があるのだと思います」

次ページからは戦前の広島や真珠湾攻撃など、今までモノクロでしか見ることができていなかった写真を本書から抜粋するかたちで掲載する。