「運命の人」が最晩年に伝えたかったこと
昨年12月出版された『西山太吉 最後の告白』(集英社新書)で、西山さんが評論家の佐高信さんを相手にすべてを語り尽くした場にも同席することができ、文字通り最後の告白を聞く栄誉にも浴した。
西山さんとはその晩年に何度か取材する機会を得た。筆者が執筆する「サンデー毎日」のインタビューコラムに二度登場頂き、密約問題を回顧していただくと同時に、沖縄の現状や日米安保体制などについて所見を伺ってきた。
付き合ってみて、この人はやはり「運命の人」だなと思った。「運命の人」というのは、作家・山崎豊子が西山氏をモデルに描いた小説のタイトルだ。TBSのテレビドラマにもなったことがある。佐高さんに言わせるとこうなる。
「50年前、大特ダネ記者がそれがゆえに逮捕された。メディア全体が国民の前に明らかにすべきであった密約を入手、時の権力批判に使ったことが権力の怒りを買い、男女問題による不正行為とでっち上げられて、司法権力により、社会的に放擲される。その背負わされた十字架の重さ、想像するだに凄まじい。そして、時が過ぎ、ある日、権力の中で分裂が生まれ、最大の攻め手であった人物(吉野文六・元外務省アメリカ局長)が、180度証言を引っ繰り返し冤罪が証明された。これをドラマチックと言わずして何と言うか」
その運命の記者が最晩年我々に何を伝えたかったのか。私は以下3つを選びたい。
その1は、記者のモラルとは何か、である。外務省女性職員から入手した外交電文をストレートに記事にせず、野党に流し国会追及の材料に使ったことが、西山批判の基調としてあった。