政府による「制度の変更」は数字の改ざんか?

1989年にも同様の変更が行われた。余剰鉱山労働者年金制度から手当を受け取っていた元炭坑作業員たちは、失業手当を受け取らなくても給付金が支払われると告げられた。

これらの変更は、記録を整理することを目的とする場合もあったが、それによって失業者数が減少するという、うってつけの結果につながるときもあった。

当時、失業手当の小切手を受け取るには、地域の失業手当事務所に本人が毎週または2週間ごとに行かなければならなかった。

一部の公共職業安定所では、登録して実際に手当を受け取っている人だけでなく、登録者全員を失業者として数えていた。

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失業者を「なんとかする」ために政府がまず取り組んだのは、各地域事務所の業務を標準化し、全事務所で、登録者すべてではなく受給者だけを失業者として数えるようにしたことだった。その結果、月次失業者数は約19万人減少した。

その一方で、単なる見せかけではない変更もあった。1988年社会保障法が施行されると、国民保険料の納付額が不足している場合は失業手当が受けられなくなった。

その結果、約3万8000人が失業手当受給者数から外された。だが、これは単なる統計データ上の変更ではなかった。これらの人々は手当が打ち切られたからだ。

さらに、今日では失業手当受給のための重要条件となっている「積極的に仕事を探している姿勢をはっきりと示す」「紹介された仕事を、自分には向かないという理由だけで断らない」などが導入されたのもこの時期だった。

この条件を満たせなかったために失業者と認められなくなり、結果として手当が打ち切られたと思われる人が約5万人いたと推測されている。

政府に批判的な人たちは、こうした変更は政府の取り組みを実際よりもよく見せようとするためのものであり、世間を小ばかにした数字の改ざんにほかならないとみなした。

何百万人もが失業しているという、きわめて現実的な問題をなんとかしなければならないという政府の重圧は計り知れないほど大きかった。

そのため、こうした変更を行う判断をする際に、「早い段階で多少なりとも成果を出しておきたい」という意識が裏で働いたのではないかと疑わざるをえない。

それでも、これらの変更に、もっともな理由によるものがあったのは間違いない。定年となる年齢に近づいている元炭坑作業員が、炭鉱の跡地に次々と建設される大型ショッピングセンターで新たな仕事に就ける見込みはほぼなかった。

再雇用の当てもないまま、毎週、彼らに失業手当を延々と受け取りに来させるのは、誰にとっても有効な時間の使い方ではなかった。

失業手当に関する事務手続きの見直しとコンピューター化は、タイミング的にうってつけだったから行われたものにせよ、正しい方向へ進むための歓迎すべき(かつ必然的な)一歩になった。