対談は重松清による“前説”からスタート!

(司会 本日の対談ですが、最初に重松さんの方からお話しをしたい、と。その後で、田家さんをお迎えする形になっています。それでは重松さん、どうぞ)

重松 重松清です。よろしくお願いいたします。田家さんから、先にお前ひとりで喋って場を温めておけと言われまして(笑)。

田家秀樹が重松清に与えた多大なる影響について、ちょっとだけお話しさせてください。

重松清氏
重松清氏
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今日のイベントのタイトル、「あの頃、僕は田家秀樹になりたかったんだ」。これね、本当なんです。

吉田拓郎さんの広島時代を描いた田家さんの『小説 吉田拓郎 いつも見ていた広島』という本があって、文庫になったときに僕が解説を書きました。その解説が、我ながら想いのこもったいいものになったので、プリントアウトして持ってきました。

読みますね。

――田家秀樹になりたい。10代の終わり頃から、ずっとそう思っていた。1980年代のことである。大学生の頃は、「文・田家秀樹」「構成・田家秀樹」「インタビュー・田家秀樹」とクレジットの付いた音楽雑誌の記事をむさぼるように読んでいた。吉田拓郎、矢沢永吉、甲斐バンド、浜田省吾、長渕剛、RCサクセション……。あの頃の僕には、大好きなアーティストがたくさんいた。そのひとの生き方に憧れた。上京の物語。仲間たちとの友情の物語。野心と失意の物語。挫折からの復活の物語。色恋の物語。要するに、「青春」にまつわる大切なことは、すべてアーティストから学んできた。そして、それらの物語は、いつだって田家さんによって語られていたのだった。

あの頃の僕は、田家さんが描くアーティストの物語を青春小説のように読んでいた。もしも田家さんがいなければ、小説の書き手にはなっていなかった――とまでは言わなくても、自分の書く小説の色合いは、今とは違ったものになっていたような気がする。そういった意味では、間違いなく田家さんは僕の大切な恩人である―― 

そういう書き出しでした。

だから、田家さんの本に推薦コメントを、って言われて、本当に光栄な話だったんで、ぜひやらせてくださいと。そして、考えてみれば前回お会いしたのが17年前だったから、対談するならいつでも行きますよ! ということで、今日のイベントが実現したわけです。

1980年代というと、田家さんは30代から40代。アーティストや、彼らと音楽を作っていくスタッフとちょうど同世代です。一緒にコンサートを作っていく、ツアーを作っていく。その現場に、田家さんはいたわけです。

この本は、現場感に溢れた、本当にノートとしか言いようがない熱い一冊。今日は、この本とともに、田家さんとちょっと昔話をしたいなと思っています。

では、そろそろお呼びしましょうか。田家秀樹さんです!

田家 いや〜ドキドキしました…。「お前」なんて言ってませんからね(笑)。

田家秀樹氏
田家秀樹氏

重松 場、あっためといたよ!(笑)

田家 ありがとうございます(笑)。