野次馬としてどの時代も面白がることができた

重松 70年代と80年代を比較すると、どんな違いがありますか? 70年代にはなかったけれども80年代に生まれた、とか、逆に70年代にあって80年代には失われたものは?

田家 70年代にあって80年代になくなったこといっぱいありますよね。歌は世につれ、なわけで、まあ音楽だけがそうだったわけではないですが、イデオロギー性とか思想性、社会性みたいなものは、どんどんどんどん、薄くなっていきましたね。

あとは、洋楽へのコンプレックスがなくなりましたね。それが最大の違いかもしれない。

重松 ああ、コンプレックス。

田家 僕もそうですが、70年代の人たちは洋楽に近づきたいとか、洋楽を聴いているヤツが偉い、みたいな、洋楽コンプレックスがありました。でもそれが80年代にはなくなった。

これはもう、サザンオールスターズ、桑田佳祐さんの功績でしょうね。洋楽なんて聞いてなくていいんだ、っていうのを、彼らは肉弾戦として見せてくれましたから。

重松清氏
重松清氏
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重松 僕は1981年、18歳で山口から東京に出てきました。だから本当に70年代の後半あたりから80年代というのは、青春のリアルタイムで音楽を聞いてきた世代です。1985年に大学卒業して、一度出版社に入ったんですけど1年足らずで辞めちゃって、そこからフリーライターになって。

田家 会社員時代そんなに短かったんだ!

重松 田家秀樹になりたいと思ってたから(笑)。

田家 重松さんの小説の読者は何百万人もいらっしゃるんでしょうけれど、音楽ライターをやってたっていうのは、みなさんどのくらい認識されてるんですか?

重松 その頃の僕はペンネーム使ってなかったから「重松清」で結構出てるんですよ。アルフィーの10万人コンサートの仕事も重松清で書いてるし。

田家秀樹氏
田家秀樹氏

田家 うそお! あのときいたの?

重松 いたのいたの!

田家 重松さんいたんだ…。

重松 さっき、田家さんが70年代の終わりから80年代にかけてラジオの深夜放送が変わっていって、って話が出たじゃない? 僕も、音楽ライター時代に、自分の好きな音楽と、世の中で流行っている音楽が一致しないことに気づいていくという経験をしていて。

田家 わかりますわかります。

重松 例えばね、あるベテランバンドのリーダーが独立して、残ったメンバーでもう1回やろうってなって、そのデビューアルバムのための合宿を信州のペンションでやるから取材してこい、って仕事があったの。1泊2日で。そうしたら結局、その記事の文字数がたったの300文字! なんなんだっていう。

好きとか嫌いじゃなくて、時代に乗ってる乗ってないっていうシビアなところが如実にくるんだなっていうのを思い知らされた。

田家さんも、70年代から80年代と音楽に関わり続けるなかで、新しい音楽が出てくる。一方で、70年代に輝いていたアーティストが疲れ気味になっていくのには、思うところもあったんじゃないですか。

田家 自分はこのまま、ここにいていいんだろうか、みたいには感じてました。でも、他に行き場がなかった。

重松 うんうん。

田家 やっぱり楽しかったんです。改めて自分のやってきたことを振り返ると、「音楽好きの野次馬」っていう感じがするんですよ。どれも面白い。70年代のあの時代よりも今の方が面白いっていう風に思えた。

否定するとか肯定とかではなくて、70年代もちゃんとあるし、それがどう変わっていくかも見ることができるし、見たこともない人や音楽が出てくるし。それを全部、野次馬として「これも面白そうだな」って、近くで面白がれた。その面白がれる場所を見つけられたから、ここまでずっと来られたんじゃないかと。