多感な時期のモヤモヤから売春に手を染める

両親と3人の弟と暮らしていた幼少期の伊藤被告は、長子でありながら弟たちのことをかわいいと思えなかった、と手記の中で告白している。

それでも一生懸命に3人の弟の面倒を見ており、《中学生になる頃には母は「いつ結婚して子供産んでも大丈夫だね」とよく口にした》(手記より。固有名詞を除いて原文ママ。以下同)という。

その後、両親が離婚。弟たちとともに母親のもとで生活を送るが、幼少期から実の母親に対して思うところが多かった。

《母の考え方はよく分からない。父と離婚したのは父の借金グセだというが、父の借金は私が生まれる前からだし、「祈れば宿命を使命に変えられる」と毎日祈っていても、結局生活は苦しいままだったし、そんな苦しい生活をしながら私の次に3人も子供を生むのも無計画じゃないか、と思う。父と離婚し、すぐに別の彼氏ができて、楽しくやるのは構わないが、40代50代で子供も小さくないというのに夜中に彼氏と大声でセックスをする感覚が理解しがたい。》
集英社オンラインの記者に届けられた伊藤りの被告からの手紙
集英社オンラインの記者に届けられた伊藤りの被告からの手紙

特異な環境で育ってきたといえるだろう。中学生時代は勉強も部活の剣道もうまくいかず、本人いわく《顔は微妙で、趣味と言える程ハマっているものもない。》という学生生活だった。

やがて自我の芽生えと葛藤を抱くなか、“あること”に自分の価値を見出すようになる。

《私はその頃、人生で初めて男とセックスをした。ブログを作り、「JCの初めて売ります。1万円」と書き込んだ。驚ろく程メッセージが来た。顔も何も載せてないのに、中学生というだけで自分の価値があるのだと思った。お金ももらえたし、大した顔でもないのに可愛い可愛いと言われて、満足だった。》

そして、売春は彼女の生活の一部となっていった。