発達障害と診断
勉強もできない、運動もできない、本人が言うところの《顔は微妙で、趣味と言える程ハマっているものもない。》(手記より。固有名詞を除いて原文ママ。以下同)という中学時代に、売春を覚えた伊藤りの被告。
通信制の高校時代、同級生や自身を買った年上男性などと体を重ねることで、自尊心はある程度満たされた。それでも彼女の根本にある“生きづらさ”が解決することはなかったようだ。
高校卒業後、介護学部のある大学に進学したが、やはり授業についていけずあっさり中退。介護施設に就職しても半年ほどで退社するなど職を転々とし、気がつけば20歳となっていた。
《20歳の誕生日は、三重県にある温泉旅館で住み込みの仕事をしていた記憶があるし、そこの期間を終了すると実家に帰り、どういう訳かソープランドでの仕事をした記憶もある。いつの間にか運転免許も取得していたし、ソープランドの仕事で思いがけずニンシンしていて、スタッフに付きそわれて中絶手術をした覚えもある。(中略)いつの間にか精神科に連れていかれていて、発達障害ですね、とあっさりと診だんされていた。》
そう診断されて、伊藤被告はそれまで抱いていた“生きづらさ”の正体がわかったような気がし、納得もしたのだという。
勉強も運動もできない、高校の通学時にバスの乗り方がわからず学校にたどりつけなかったり、大学の敷地で迷子になって講義に遅れてしまったり、といったことの原因はすべてここにあったのだ、と。
《受診の時に、「子供の頃から落ち着かなくて、勉強ができなくて、変だと思っていた」と(母の)発言を聞いて、どうしてもっと早く病院に連れて行かなかったんだ、とキレた。(中略)そう怒る私に、母は「時代だから仕方なかったのよ!自分で言えばいいでしょう!」とヒステリックな声で言った。》
伊藤被告はただ自身の辛さをわかってほしかっただけと述懐する。そして、人生、何もかもうまくいかないことも、すべて自己責任なのか、との思いを募らせていくようになる。
そして、27歳のころ、彼女は突如、上京する。