世間はカルトに厳しいが、それでも人はカルトにひかれる
旧統一教会は、ソ連の崩壊によって共産主義の勢力が力を失ったこともあり、反共(勝共)を以前ほど強く打ち出さなくなっている。そこには、メンバーの世代交代もかかわっている。旧統一教会に1960年代から1970年代にかけて入信した信者は、反共ということに関心を持っていたわけだが、二世信者にはそうした意識は乏しい。
顕正会でも、最近では強引な折伏で逮捕者を出すということがなくなってきている。おそらくそこには、会員の世代交代が関係しているであろう。街頭で『顕正新聞』を配っているのは年配者がほとんどで、若者たちの姿を見かけることはない。顕正会も二世会員になると、組織の拡大にはさほど熱心ではなくなっている。
しかも、カルトに注がれる社会の目は相当に厳しいものになってきている。
そこにはオウム真理教の事件の影響が大きい。宗教団体は権力が介入できない聖域ではなくなり、問題となる行動を起こせば、社会から強い批判を浴びるだけではなく、警察による厳しい取り締まりも受けるようになってきた。ライフスペースの教祖に殺人罪が適用されたり、法の華三法行の教祖に詐欺罪が適用されたのも、それが関係する。
エホバの証人については、社会が親による虐待を問題視し、それを犯罪行為として扱うようになったことで、子どもの輸血拒否や鞭打ちによるしつけが難しくなった。教団もそうしたことを奨励しているわけではないと、弁明せざるを得なくなってきた。
社会がいかに圧力をかけていくか、いわゆる「カルト問題」解決の鍵はそこにある。
ではなぜ、人はカルトと指摘されるような集団にひかれるのだろうか。
その理由について、騙されて入信していくのだと説明されることがある。実際、教団のなかには、正体を隠して勧誘するところがある。