シャロン・テート事件とチャールズ・マンソン
最初、カルトに注目が集まったのはアメリカ合衆国においてだった。日本においてではなかった。
1969年8月9日、女優のシャロン・テートがカリフォルニア州ロサンゼルスの自宅で友人たちとともに殺された。彼女は著名な映画監督、ロマン・ポランスキーの妻で、事件当時、妊娠していた。胎児もろとも殺されたことになる。ポランスキーは事件の前年『ローズマリーの赤ちゃん』というホラー映画を監督し、話題になった。
この事件の犯人は、チャールズ・マンソンという音楽家でもある人物が率いていたコミューンのメンバーで、彼らはマンソンとともに逮捕された。彼らはほかにも殺人事件を起こしていた。しかも殺人は相当に残虐な手口で行われた。
マンソンは直接犯行に携わったわけではない。だが、一連の殺人を指示したとして死刑判決を受けた。実行犯も終身刑となった。その後、カリフォルニア州では一時死刑が廃止され、マンソンもその対象となり、終身刑に減刑された。刑務所から病院に移されたマンソンが83歳で亡くなったのは2017年のことだった。
この事件を報じる当時のアメリカの新聞を見てみると、この集団をさしてカルトということばは使われていない。