兄を救ったひとつの言葉

竹内さんが講座を受けたことがきっかけで、竹内さん自身と家族にも、劇的ともいえる変化があった。

鍵となったのはオープンダイアローグ(開かれた対話)だ。統合失調症の患者を対話で回復に導くための手法なのだが、そのおかげで結果的に兄を救うことができたのだという。

「オープンダイアローグでは感じていることをそのまま口に出すことが大事なんですけど、それを学んだ後に兄が実家に来たんです。母親と兄と3人で話をしていて疑問に思ったんですよ。兄は自分の考えは話すけど、感じていることは何もしゃべってないなって。なんで自分にそんな勇気があったのかわからないんですけど、直接兄に聞いたんです。『感じていることを話してよ』って。

そうしたら最初は戸惑って思考停止しちゃったんだけど、突然、堰を切ったように、バーッと話し出したんです。学生時代からの苦悩とか、結婚生活の不満とか、子どもに対しての気持ちとか、感じたまんま全部。

もともと兄はプライドが高くて、弱い部分を見せない人だった。それなのに『俺、自分が大丈夫かどうかもわからない』と言ったので、精神的に追い詰められていたんだと思いましたね」

写真はイメージ。画像/shutterstock
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竹内さんの兄は偏差値の高い大学を卒業して公務員になった。ところが社会に出て初めて、「自分は他人の心がわからない人間だ」と気がついたのだという。

例えば、自分の態度が原因で同僚が泣いていても、どうしてなのかわからない。人の気持ちを察したり空気を読むこともできない。悩んで上司に相談したら、上司は「そういう特性を持っていることを認識しながら働いて」と言ってくれた。さらに職場のみんなと共有して配慮してくれたので、仕事を続けることができたそうだ。

「自分は発達障害だと思う。気持ちをわかろうと思っても、わからないんだよ!」

悲痛な叫び声をあげる兄を見て、竹内さんはびっくりして返す言葉もなかったという。

「そうしたら母も『お父さんは自覚していないけど、お父さんも(兄と)同じだ』って。父のことをおかしいなと思いながらも、ずっと口にしちゃいけないと思っていたみたいです。

私は兄と母の言葉を聞いて、初めて理解できたんですね。父も兄もあんな非人道的な行動をしていたのは、悪気があったわけじゃなく、気持ちがわからなかったからだと。で、それを境に、2人への遺恨みたいのがなくなっちゃったんですよね」

写真はイメージ。画像/shutterstock
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発達障害の一つであるASD(自閉スペクトラム症)の人は、気持ちを察するのが苦手な傾向がある。ASDの夫や妻を持つ人が、パートナーとコミュニケーションが取れずに苦しむ状態をカサンドラ症候群と呼ぶが、家族にも起こりうる。竹内さんも、「自分と姉はカサンドラ症候群だったのでは」と考えている。

その後、兄が子どもを連れて実家に来たとき、普通の会話の中で姪っ子がさらりと言った。

「パパは気持ちがわからない人間だからね」

竹内さんは驚いたが、兄が自分の家族にも話したのだと確信した。

それからまもなく、竹内さんも自分がいじめられていたことを、初めて母親に打ち明けた。すると、母はこう言って悔しがったという。

「なんでそのときに言わなかったの? 学校に怒鳴り込みに行ったのに!」