暴力的な父と兄の顔色を見る日々

竹内さん自身、当時はよくわかっていなかったのだが、実は無気力になってしまった裏には他にも要因があった。

竹内さんは3人きょうだいの末っ子で兄と姉がいる。小学校低学年のころまで兄と竹内さんは、父親に暴力をふるわれていた。5歳上の兄も成長して体が大きくなると、父と同じように妹弟に暴力をふるったり、暴言を吐いて思い通りに従わせたりした。

「顔や頭を、強めに平手打ちされたりとか。やられたら痛いし、泣いていたと思いますよ。でも、母親も止められず見ているだけでしたね。しょっちゅうというほどの頻度じゃないけど、いきなり殴られる。あまりにも唐突だから、ビクビクしていたし、何とか察することができないかと、いつも父や兄の顔色を見ていましたね。

姉は人の顔色を見るのが下手だったんですよ。自分の思っていることをそのまま言っちゃうから、兄に殴られたし、学校でもいじめられた。私は幼いころから姉の様子を見ていたから、自分の身を守るために同級生の顔色を見たり、自分の思いをあまり言わなくなったのかもしれないですね」

写真はイメージ。画像/shutterstock
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竹内さんが小学5年で不登校になる少し前に、中学生の姉が不登校になった。同級生から容姿についてからかわれるなど、いじめられたのが原因だ。

「学校に行きなさい」と言う母親と「行かない」と言い張る姉は家でぶつかってばかりだった。

「私が家に帰ると、母と姉がすごい喧嘩をした後みたいな感じで空気が殺伐としていたんです。私はまだ小学生だったから、その重い空気が結構、きつかったんですよ。私だって学校で嫌な思いをしているのに、家に帰っても気が休まらない。なんかいろんなものが重なって、もう無理って。それで、たぶん、無気力になっちゃったんですね。

『僕も行かない』と言ったら、母親に『悲しい』とは言われたけど休むことはできた。姉のことで手一杯だったから、私のことまで考える余裕がなかったんじゃないかな」

写真はイメージ。画像/shutterstock
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6年生になる前に進学塾も辞めた。中学受験をして受かったとしても、通えないと思ったからだ。それまで友だちは何人もいて、家を行き来して一緒にゲームをしたり、サッカーをしたりしていた。竹内さんが学校を休むようになっても、心配して変わらずに誘ってくれたが、遊ぶことも苦痛になってきたという。
 

「気力が出ないから、一緒にいても楽しめないし、しんどくて。でも、誘われたのに行けないと、今度は自分を責めるわけですよ。私、結構、完璧主義だったから、今までのようにできないことが、ものすごく悔しかったんですね」