「明るさ」が一つのキーワードだった1980年代

平中は、「シティポップ文学」について、こう続ける。

「僕はシティポップ短篇のことを『都会的な小説』と言っていますが、それは『都市的な小説』とは違う。『都市』というと『光と影』がある。きらびやかな面とそうでない負の面の両方が含まれています。一方、『都会』という言葉の響きにはそういう暗さがなくて、明るくポジティブな側面が大きいと思います」

シティポップ短篇に見られる「明るさ」は、音楽としてのシティポップにも、それらを支えた80年代にも見られた傾向だったと平中は言う。

「シティポップの名曲に『DOWN TOWN』や『中央フリーウェイ』などがあります。これらは、なぜサビフレーズで英語を使うのか。それは、そう歌うことによって、どこか自分たちの気持ちが現実よりも明るく、ウキウキするからだと思います。現実をちょっとだけよりよく描こうという気持ちがシティポップにはあった。

山下達郎や大貫妙子が在籍した伝説のバンド、シュガーベイブの代表作
山下達郎や大貫妙子が在籍した伝説のバンド、シュガーベイブの代表作

雑誌でいえば、例えば『POPEYE』や『anan』の世界観です。ちょっと手を伸ばせば届きそうな心地のいい生活を、カタログ的に紹介していました。そういう傾向とも、シティポップ文学はシンクロしていたと思います」

「真実」ではなく「理想」を描いたシティポップ文学

平中は本作と同時に『「細雪」の詩学』という、東京大学に提出した谷崎潤一郎の代表作『細雪』に関する博士論文を書籍として刊行している。

『「細雪」の詩学 比較ナラティヴ理論の試み』の表紙には安西水丸のイラストが配されている
『「細雪」の詩学 比較ナラティヴ理論の試み』の表紙には安西水丸のイラストが配されている

実作者としてだけでなく、文学研究者としての立場からも、こうしたシティポップ文学の誕生について説明する。

「近代日本文学の伝統では、文学とは『人間の真実を描く』ものという通念が重視されてきました。しかし、1980年代前後に現代思想の影響が入ってきて、従来の『真実』観が揺らぎ始めた。その中で、文学が描く対象にも幅が生まれて、シティポップ文学のような、現実を理想化して、前向きにポップな世界像を描く作品が出てきました」

また、それに拍車をかけるように、1980年代の日本は好景気に湧いていた。1980年代中頃から続いたバブル景気によって、日本は消費大国となり、その少し前の1979年には『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という本まで書かれた。こうしたどこか浮ついた高揚感の中で、その時代の空気を反映するような気分に満ちたのがシティポップ文学だった。