スニーカーの価値は急落したのに
ヴィンテージデニムが高止まりする理由
前述の通り、スニーカーをはじめとした投資的商品の多くは金融緩和による金あまりの市場によって高騰し、その後の金利引き上げによって価値が暴落しました。ただし、定価を易々と下回るようなスニーカーの下落ぶりに比べて、同じく高付加価値の投資的商品として扱われていたヴィンテージデニムや「ロレックス」の下落幅は比較的ゆるやかです。また、実際にそれらを資産として保有しているコレクターたちも将来的な価値に関しては楽観的な予測をしています。
では、なぜ同じ投資的側面を持つ高付加価値商品だったにもかかわらず、スニーカーとヴィンテージデニムでは大きな違いが生まれたのでしょうか。
それはまず、市場に出回る製品の数量の違いが挙げられます。ヴィンテージデニムはかつて大量生産されたものですが、そのほとんどが日常生活のなかで使い潰されており、現存する個体はごくわずか。そのため、欲しい人たちは大金を払ってでも手に入れようとする動機が生まれます。
同様に「ロレックス」も工芸品に近い存在のため製造数には限りがあります。そのため相場が下落したと言ってもいまだにデイトナ*をはじめとした人気モデルは「ロレックス」の店を訪れても一見の顧客が手に入れることはできず、他の時計を何本も購入して常連客になるか、百貨店の外商経由で購入するか、あるい二次流通市場でプレ値で購入するか、という選択肢しかありません。
つまり生産数そのものに限りがあるため、需要が供給を上回っている限り定価を割ることはない、と言えます。
一方でスニーカーは大量生産品です。需要の高まりに合わせて供給量を増やしていくことが可能であり、実際にスニーカーメーカーはブームに乗って生産数を大幅に増やしました。欲しい人は誰でも手に入れることができるまで生産量が増えた結果、スニーカーの価値は下落していきました。
さらに、製品寿命の長さも関係しています。ヴィンテージデニムは1900年代初頭に作られたものでも現存していますし、戦前に作られたものでも今なお穿くことができます。仮にぼろぼろの端切れだけになったとしてもデザイナーたちや古布マニアがこぞって欲しがるほど資料的価値を有しています。
「ロレックス」も同様に適切にメンテナンスをおこなっている限り価値を減じるものではなく、後の時代にヴィンテージとして価値を高める可能性も残っています。
つまり、ヴィンテージデニムや「ロレックス」は売ると損する状況ならば相場が回復するまで株のようにいくらでも塩漬けすることが可能なのです。
一方でスニーカーの場合はそうはいきません。EVA素材のクッションソールは言うまでもなくカップソールのモデルでもいつか加水分解してバラバラになってしまうため、実際に履けるだけのコンディションを10年以上保ち続けるのは至難の業です。
最近は加水分解した古いスニーカーをコレクタブルなものとして売買する流れもないわけではありませんが、あくまでフェティッシュなマニアの間だけの話。デザイナーが端切れから生地の組成を解析するために買い求めるヴィンテージデニムと違って、資料としての利用価値はありません。
スニーカーは加水分解する前に手放さないと価値がなくなってしまう。そのため、ヴィンテージデニムのように現存する個体がなくなるまで保管し続ける、という戦略も取りづらいうえ、ヴィンテージデニムや時計よりも圧倒的に保管スペースが必要になるため、そのコストもかかってきます。言い換えると、スニーカーは短期で売り買いすることに向いている(というよりも、そうするしかない)投機的なアイテムと言えるでしょう。
マネタイズの期間が短くなればなるほど、つまり投機の側面が強くなるほど相場は市場のムードを大きく反映するようになります。スニーカーバブルが一気に弾けたのは投機的側面が強くなりすぎたがゆえに、それまで熱狂していたスニーカーファンや転売ヤーたちが「そろそろブームが終わるんじゃないか」と疑念をいだいた瞬間に、潮が引くように市場から一斉に撤退して争奪戦に参加しなくなったことが原因です。
*デイトナ
「ロレックス」のなかで唯一のクロノグラフ搭載のモデルで、キングオブロレックスと名高い。生産数が少なく、二次流通市場でもプレ値で取引される。
写真/shutterstcok