さらなるリアリティと、フィクションの楽しみ
――アイヌ語の監修は、脚本段階からなさっていたのですか?
そうですね。頭から全部、読ませてもらって。アイヌ語の間違いを直すのはもちろんですが、撮影が進むうちに、脚本にないセリフを入れる作業も生じました。現場で、「ここでなにも言わないのは変だから、アイヌ語でよいセリフを考えて下さい」と、そういう監督からのリクエストがたびたびあるわけです。だから、原作にないアイヌ語のセリフも出てきますし、あとは人物の所作についても、共同監修の秋辺デボさんとアイディアを出し合って変えていったところもあります。
――よろしければ具体例をお聞かせいただけませんか。
アイヌ語のヒンナという言葉は連載時から人気になりましたが、原作でちゃんと「感謝の言葉」と説明されているにもかかわらず、「おいしい」という意味だと誤解されて広まりましたね。そこで映画では、アシㇼパが初めてこの言葉を口にする時、お椀を手にして祈るように上下させながら「ヒンナヒンナ」と言うようにしました。食べる前だから「おいしい」にはなりませんね。そこで杉元が「それなに?」と訊いて「感謝の言葉だ」とつなぐことで、非常にはっきりと伝わるようになったんじゃないかなと思います。
あと私が提案したのは、杉元が初めてアシㇼパのチセを訪ねる場面のフチ(アシㇼパの祖母/大方斐紗子)のふるまいです。漫画だとフチはあまり表情を変えず、ただアシㇼパが連れてきたお客さんだからもてなそう、という感じなんですが、映画では、いかにもアイヌのおばあちゃんだったらするだろうな、という仕草を入れてもらった。被り物をとって、こう(右手の人差し指で鼻の下をこする)するんです。これがアイヌの女性のあいさつなんですよ。
アシㇼパが大人の男性の前で被り物をとらないのは彼女のキャラクターだから、それはいいんです。本当にリアリティを追求するなら、そもそも文様つきのアットゥㇱ(アイヌの織物)をふだんから着ているのも変だ、という話になってしまいます。あれは晴れ着ですからね。
――原作漫画における登場人物の服装について、ご著書には「いわばアイヌであることをわかりやすくするための演出で、リアルな描写ではありません」と書かれていました。
はい。実写映画でも同様で、やはり映画としての見栄えが大事だから、極端にリアルを追求していくわけにもいかないでしょう。ドキュメンタリーを撮るなら別ですが。漫画が原作の場合はなおさら、イメージを崩さないようにしないといけませんしね。私が少し心配だったのは、熊やレタㇻ(白い狼)の描写でしたが、できあがりを観て納得しました。
――フィクションならではの演出とリアリティとのバランスは、歴史ものだと特に重要ですね。そして実際の歴史や文化を深掘りしたい人のために本書のようなガイドブックは必要ですね。
取材・文/前川仁之 撮影/内藤サトル
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舞台は気高き北の大地・北海道。時代は、激動の明治末期。「不死身の杉元」と異名を付けられた日露戦争の英雄・杉元佐一は、ある目的のために大金を手に入れるべく、北海道で砂金採りに明け暮れていた。そこで杉元は、アイヌ民族から強奪された莫大な金塊の存在を知る。金塊を奪った男「のっぺら坊」は、捕まる直前に金塊をとある場所に隠し、そのありかを記した刺青を24人の囚人の身体に彫り、彼らを脱獄させた。囚人の刺青は 24 人全員で一つの暗号になるという。そんな折、野生のヒグマの襲撃を受けた杉元を、ひとりのアイヌの少女が救う。「アシㇼパ」という名の少女は、金塊を奪った男に父親を殺されていた。金塊を追う杉元と、父の仇を討ちたいアシㇼパは、行動を共にすることとなるが…。