実写映画には原作にない名場面が追加された?
――ちょうどいま実写映画の『ゴールデンカムイ』が公開中で好評を博しています。出演者の方々にアイヌ語の指導をなさったとうかがっていますが、ロケにも参加されたのですか。
はい。本当はアイヌ語のセリフが出るすべてのロケに参加したかったんだけど、日程的に、なかなかそうはいきません。だから私自身が立ち会っていないところでアイヌ語のセリフを言うこともあるわけです。そういう時は後で聞かせてもらって、「録音のしなおしを」とお願いすることもありました。
アシㇼパ役の山田杏奈さんには、アイヌ語だけではなく、仕草についても提案しました。アシㇼパが熊を解体する際、両手を上に向けて祈る「オンカミ」(礼拝)をするのは原作になかったもので、予備知識のない人でも「ああこの子は民族が異なるんだな」と分かる、いいシーンになったと思います。
――「アイヌ語監修」のみだった原作の時とは違い、映画では「文化監修」としてもクレジットされていましたが、コタン(村)の場面等、美術スタッフの方とはまた違ったこだわりを発揮されたのではないでしょうか。
小道具なんかは美術の方がそろえてくれるので、そこには口出ししませんが、配置にはこだわりましたね。家の中で、どういう風に物を配置するか。実際に立ち会って、「これは要らないですね」「これも要らないです」って、「要らない」がほとんどなんですよ。「ここに置いとくのは変だから、そっちに移して」とかね。そんなことをやっていました。
――今回のご著書でも、アイヌの伝統的なチセ(家)の中での席順について解説されていましたが(第二章 コタンの生活風景)、映画を観るとちゃんとその通りに座っていましたね。
それは原作漫画の時からそうなっていますからね。撮影現場でも、主人側がこちらに座って、主人公の杉元(山﨑賢人)はお客さんだからあっちに座って、そしてロルンプヤㇻ(「神窓」)のある側は通っちゃダメと、そういうことは指示しました。
――そうしたリアリティについて、原作の画づくりと、実写映画の画づくりを比べて、なにか発見はありましたか。
原作は野田先生がしっかり調べて描かれていますが、例えば屋内の場面で、部屋の隅から隅まで360度全部気にすることは、おそらくありませんよね。アニメでも同様です。構図を決めたら、そこに納まる物だけを丁寧に描きこんでいけばいいでしょう。
ところが映画の場合、カメラがどう動いて、なにが写るかわからない。ぐるっと見回した時に、全体がそれらしくなっていないといけないわけですよ。要するに漫画やアニメではそこまで気にしなくてよい部分についても、なんらかの監修をする必要が出てきます。家の作りはどうなっているかとか、骨組みはどうなっているか、物はどういう配置か、一生懸命調べなければいけませんでした。
それでも、分からないことはたくさんあります。いま生きている人はもちろん、その前の世代の、私たちが(30年以上前にフィールドワークで)話を聞いてきた人たちだって、アシㇼパたちのような生活はしていなかったんですから。分からないところは「こうであるはずはない」という選択肢を排除していって、辻褄を合わせてゆく他ない。その点が大変でした。