言葉で伝える
いい写真は伝わる写真です。だけど言葉がないと写真は伝わりません。言葉がなくても伝わる写真はありますけど、そんな簡単なものではないです。「言葉にならないことを撮りたい」という人もいるけど、そういう写真が撮れる人は天才です。天才はいます。写真学生が3000人いたら、一人ぐらいいるかもしれません。
ぼくはバカよりの凡人なので「言葉にならないことを撮りたい」は早々に諦めて、言葉でしっかり伝えることを意識しています。
写真はキャプションひとつで見え方がまったく変わります。おなじ写真でもキャプションで180度印象が変わるのだ。それくらい写真は不安定な存在なんです。だからやろうと思えば印象操作も可能になるし、正しく写真を受け取ってもらうには言葉が必要です。
「作品を見た人がそれぞれ自由に感じてほしい」という人もいます。聞こえはいいけど、それは写真ではむずかしいんですよ。自分の信条とはまったく真逆の受け取り方をされたら嫌なものだし、写真だけ見たってわかるわけもないんですよ。
映画やドラマや漫画や小説では可能です。なぜならセリフで言葉を尽くしているからです。だからこれらの作品は見終わったあとに否応なく考えさせられるし、しっかりと伝わる。
写真は言葉で説明しないとダメ、言葉があってはじめて完成します。写真につける文章は写真の取扱説明書のようなものです。写真って写真だけじゃ伝わらないですからね。#1の「さしみ食わせろ」と一緒。
言葉をむずかしく考えないでいいです。感情を書くだけでいいです。きれい、かわいい、うれしい、美味しそう。そういう感情をわかりやすく説明すればいいだけです。めちゃくちゃ大事なのは、起こった出来事や写真にうつっているモノを説明するのではなく、自分が何を思ったかを言葉にすることです。
ここでよくわからんフランス語や英語や詩のようなものを添えちゃダメですよ。ダメっていうか伝わりませんよ。なぜなら海外の言葉も詩も伝わりにくいから。伝わらない写真に伝わらない言葉をつけると、まったくわからない作品になりますからね。
添えるのはポエムじゃなくて小学生でも理解できる言葉です。俳句だってポエムだってフランス語だってわかりやすい説明がないと伝わらないからね。
この写真は息子と遊園地のブランコに乗ったときの写真です。たとえばこの写真に言葉をつけるなら「家族で行った遊園地、小学生になった息子はお父さんの前を行くようになった」と書きます。
これまで息子は自分の視界にお父さんかお母さんがはいるように、いつも後ろにいたんです。子どもってそのほうが安心するじゃないですか。ブランコに乗るときぼくの後ろか横に座るかと思ったけど、グイグイと前に進んでいったんです。ぼくはこのときに「成長したなぁ」と感じました。それをちょっと説明するだけ。
これをタイトルと勘違いしちゃダメですよ。タイトルになると「子どもとブランコ」とかになりがち。写真にうつっているものの説明ではないんです。かといって「成長」だけでもまったくわからないんですよ。
伝わらないタイトルの写真を見た人は何もわからないから「いい流し撮りですねぇ」とか「鎖の前ボケがいいですねぇ」とか「青いジャケットがいいですねぇ」みたいな感想になる。最悪なのは「カメラは何を使ったんですか?」「レンズは何㎜を?」みたいなどうでもいいやりとりが発生します。