「僕たちはいつでもトップグループだと思っていたからね」
ツアーで各地を回る中で、クイーンのパフォーマンスは洗練されていくとともに着実にファンを増やしていき、74年2月には人気テレビ番組『トップ・オブ・ザ・ポップス』への出演を果たす。
そして3月8日には満を持してセカンド・アルバム『クイーンⅡ』をリリース。前作以上に壮大なスケールで、構成もより複雑かつダイナミックに展開していく内容だった。
レコード発売当初は「サイドホワイト」「サイドブラック」と各面が分かれ、「A面」「B面」という区別がなかったという。
レコードのA面とB面、つまり表と裏でブライアン・メイ作曲の“ホワイト・サイド”と、フレディ・マーキュリー作曲の“ブラック・サイド”に分かれていた。
そしてフレディの世界は、人喰い鬼の戦いを描いた「オウガ・バトル」で幕を開ける。
「『オウガ・バトル』はもの凄く……ヘヴィなんだ。僕の言ってるのはいわゆるヘヴィ・メタル的な意味合いでのヘヴィじゃなくて……とにかくめちゃめちゃヘヴィなんだよ」
同じ3月にはクイーンにとって初の単独ツアーが始まり、3月31日には伝統あるレインボー・シアターでのコンサートに出演。熱気あふれるバンドの演奏とともにフレディのパフォーマンスは輝きを放ち、この大舞台を見事に成功させるのだった。
わずか半年で、無名だったバンドから注目を集めるバンドとなったクイーンだったが、そのことについてフレディはさほど動揺しなかったという。
「僕たちはいつでもトップグループだと思っていたからね」
その一方で多忙な日々は肉体的にも精神的にもかなりのプレッシャーで、各メンバーは悪夢にうなされることもあり、相当に参っていたようだ。
それは、バンドの人気がまだ完全なものではなく、薄氷の上に立たされているようなものだという不安の現れだったのかもしれない。
そんな悪夢を払拭するためにクイーンは休むことなく、モット・ザ・フープルとともに今度はアメリカ・ツアーに出る。
この時はギタリストのブライアン・メイが肝炎で入院することとなり、ツアーは中断。アメリカ制覇は叶わなかったが、残されたメンバーはすぐさま新しいアルバムの制作に取り掛かった。
そして11月には3枚目のアルバム『シアー・ハート・アタック』をリリースし、全英チャートで2位という大ヒットを記録する。こうしてクイーンの快進撃はまだまだ続いていくのだった。