自分の才能を疑い出したミック・ジャガー
1980年代半ば。ローリング・ストーンズは結成以来、最悪かつ深刻な解散危機を迎えていた。
ことの始まりは、ミック・ジャガーのリードシンガー症候群だと言われている。キース・リチャーズが語るように、自分を他とは違う“特別な人間”だと本気で思い込む誇大妄想だった。
「何年も続いていた状況がとうとう来るところまで来た。ミックが何もかも支配したいって欲求に取り憑かれたことだ。あいつにしてみりゃ、ミック・ジャガーと“その他大勢”だった。俺を含めたバンドの他のメンバーは、もうみんな雇われ人だ。長年一緒にやってきた俺たちにまでそうなったら、もうおしまいだ」
1981~82年のワールドツアーは史上最大(※注1)と言われ、かつてない規模の成功を収めた。
その一方で、時代はMTVなどの登場によって音楽シーンが様変わりし始め、ヴィジュアル性に富んだ新しいスター(※注2)が次々と生み出されて行く。
巨大になり過ぎたストーンズは、もはや“旧世代の体制側”だった。その矛先はもちろん“リードシンガー”であるミックに向けられた。
アルバム『Undercover』(1983年リリース)を制作中の頃、ミックは自分の才能を疑い出したという。他のミュージシャンに対抗意識をむき出しにしたり、ダンスや歌のレッスンまで受け始めたりと、最先端の流行を追いかけ始めた。
(※注1) 1981年9月〜12月のUSツアーは、28都市50回公演で約265万人動員。5200万ドル以上の収益をもたらした。翌年のヨーロッパツアーは、23都市36回公演で約170万人動員。スタジアム会場がメインだった。この時の模様は映画『レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー』として1983年に公開された。ストーンズのツアーはこれ以降さらに大規模化していく。
(※注2) マイケル・ジャクソン、プリンス、マドンナ、ジョージ・マイケル、デュラン・デュランなど。しかしミックが一番対抗意識を持ったのは、同世代のデヴィッド・ボウイだった。