ブティック「SEX」にやって来る若者たちで結成
1970年代半ばのこと。イギリスでは失業率がどんどん増加していき、他のヨーロッパ諸国からは「ヨーロッパの病人」と呼ばれていた。
労働者たちにとっては不安と怒りの日々。そんな時期に登場したのがセックス・ピストルズだった。
メンバーを集めたのは、ブティック経営者にしてニューヨーク・ドールズのマネージャーも務めたことのあるマルコム・マクラーレン。アメリカでパンクに魅了されたマルコムは、ロンドンに戻ると自身の手で新たなバンドを売り出そうと考えた。
そこで目をつけたのが、自身のブティック「SEX」にやって来る若者たちだ。
マルコムはバンドをやっていたスティーヴ・ジョーンズとポール・クック、店員のグレン・マトロック、そして客のジョニー・ロットンに声を掛けてバンドを組み、店の名前から「セックス・ピストルズ」と名付けた。
1976年11月、EMIから『アナーキー・イン・ザ・U.K.』でデビュー。ピストルズは時代の最先端を行く奇抜なファッション、ジョニーが叫ぶ過激な言葉、荒削りながらもエネルギッシュなパンク・ロックで注目を集めていく。
同じ頃のロンドン。ヴァージン・レコードの代表リチャード・ブランソン(※1)は、悶々とした気持ちでオフィスにいた。経営は赤字。このままではいずれ会社が潰れてしまう。
ローリング・ストーンズ、ザ・フー、ピンク・フロイドといった相次ぐビッグネームとの契約失敗は、新興のレコード会社がまだ「二番目の候補」にしか過ぎないことを証明する結果となってしまった。それでは何の意味もないのだ。
そこでヴァージンは二つの選択に迫られる。一つはリスクを取らずに今のお金で生き長らえて小さな会社として継続していくか。もう一つは最後の資金を使って可能性に賭けるか。もちろん失敗すれば倒産だ。起業家ブランソンはもちろん後者を選択した。
そんな矢先のことだった。下のフロアから異常な曲が流れているのを耳にする。ヒステリックな声が「アナーキー・イン・ザ・U.K.」と叫んでいた。思わず階段を走り下りた。
「今のは何だったんだ?」
「セックス・ピストルズのシングルです」
※1 リチャード・ブランソン
音楽ファンや起業家でこの名を知らない人はいないだろう。1970年代のレコード店やレコード会社を出発点に、80年代以降は航空、鉄道、金融、通信、飲料、化粧品、健康、映画、放送、出版、そして宇宙旅行といった分野へと事業を拡大。巨大企業集団ヴァージン・グループの会長としてビジネスや社会貢献活動に取り組むだけでなく、時には熱気球による冒険家として世界に旅立つことでも有名だ。