父の遺品の腕時計

今の私にとって、それこそ値段を付けられないほど大切な宝物はといえば、父の遺品の腕時計だ。

一九六九年に、世界で初めてクオーツ式腕時計を発売したのは日本のSEIKOで、当初は車が買えるくらい高価だったらしい。父のはさすがにそこまで古くないけれど、それでも手に入れてから四十年あまり経つだろうか。

私が時計好きなのを知っていた父は、晩年、会うたびわざとそれを見せびらかしてよこしては、

「まだ、やらん。俺が死んだらやる」

と言ってニヤニヤした。

「あっそ。ほな楽しみに待っとくわ」

などと憎まれ口を返していたら、思うより早くその時が来てしまい、だから今でも手首にはめるたび、

(そんなつもりやなかってんけどな)

と、寂しい言い訳をしてしまう。

3万円のダイバーウォッチ、ロレックス、BABY-G、SEIKO。作家・村山由佳を通り過ぎた男たちと時計の思い出_4
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最後に父自ら電池を替えたのは、亡くなる半年ほど前、実家のある南房総千倉で秋の祭礼が行われている最中だった。

老人特有の気の短さで、針が止まってしまった時計をどうしても今すぐ何とかしたかった父は、甥である背の君に運転手を命じ、町の時計屋さんを探した。たぶんあの店なら、と親切に道順を教えてくれたのは、祭りの法被を着てねじり鉢巻きをした青年だったそうだ。

町じゅうの電柱から電柱へ、桃色の提灯がずらりと連なっていた。家々の門には色とりどりの薄紙で作った花飾りが立てられ、風に乗って遠くから祭り囃子が聞こえていた。

たとえば腕時計のそもそもの役割は時間を報せることで、ただそれだけのためなら、なるほどスマホを見れば事は済む。

でも私たちは、液晶画面に表示されるあのそっけないデジタルな数字を偏愛することはないし、特別な思い入れを持つこともないだろう。

モノには、思い出が宿る。

やがては命も宿る気がする。

文/村山由佳 写真/shutterstock

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