水色のBABY-G
あかん。こういうのに弱い。違法でないかどうかロレンスさんに確かめた上で、私は青年と取引することにした。ネックレスとオマケの槍と楯を、何と取り替えるか。お金はないと言い張った手前、今さら財布を取り出すわけにもいかず、結局ポケットから出した一個千円の腕時計(こういうこともあろうかとあらかじめ日本から用意していったものの一つ)と交換した。相手はこちらがびっくりするほど狂喜乱舞していたけれど、私にとってはライオンの牙のほうが、値段なんかつけられないほど価値のあるものだったのだ。
が、車に戻った私が戦果について得々と話したとたん、ロレンスさんは頭を抱えてハンドルに突っ伏してしまった。これから先の人生でも、あれほど真に迫った「オーマイガッ」を聞くことはもうないかもしれない。
「こんな電気も水道もない村に住むマサイに、新品の腕時計をくれてやることはないじゃないか。何に使うんだ、待ち合わせか?」
今はどうだかわからないが、当時のあの国においては、ちゃんと動く腕時計を持っているというのは一種のステイタスシンボルだったのだ。首都ナイロビでも貴重品で、ロレンスさん自身がはめている腕時計も、なかなか家にいられないドライバーの仕事を続けた末にやっと手に入れたものだった。
「まあ、君がいいなら良かったけど」と、彼はため息まじりに言った。「俺もいつか、女房に腕時計を贈ってやりたいよ」
自分は何も知らないのだと思い知らされた出来事だった。この国におけるモノの価値ばかりでなく、私には人の心の何ひとつわかっていない……。地平線まで続く赤い大地の上に、胸が痛くなるほど澄みきった紺碧の空が広がっていて、赤道の真上でも九月の空はこんなに高いのかと思った。からりと乾いた風は日本の秋風と似て、けれど思いのほか冷たかった。
十日のあいだ朝から晩まで取材に付き合ってもらい、ようやくナイロビに戻ってきた別れ際、私はロレンスさんに、ほんのお礼の気持ち、と小さな包みを渡した。
「よかったら奥さんに。新品じゃなくて申し訳ないけど」
物々交換のために用意してきた時計ではなく、私個人の愛用していた水色のBABY-Gだった。前の晩に隅々まで洗って磨いたとはいえ、お古をあげるなんてと遠慮もあったのだけれど、包みを広げてそれを目にしたロレンスさんは、顔を上げたとたんに私をものすごい力で抱きしめたかと思うと、子どもを振りまわすようにぐるぐる回りながら快哉の雄叫びをあげた。身体を離した時には目にいっぱい涙を溜めていた。
「ユカ、知ってる?ここではだいたい六時に陽が昇って、六時に沈むんだ。女房にはこの十日間のことをたくさん話すよ。これからは、陽が昇って沈むたびに君のことを思い出す」そして彼は、「腕時計のお返しにはならないけど」とはにかみながら、旅の間じゅうずっと聴いていた例のカセットテープをくれた。