#2

モノの縁

残暑が去ってゆくと同時に、出版社から送られてくる女性誌の表紙がきっぱりと秋の装いに変わる。

柔らかなグレーやベージュ、こっくりとしたブラウン。カシミアやウールなどの質感は目にするとまだちょっと暑苦しくて、しかもこれを撮影していた頃はきっと夏の盛りだったのだろうと思うと、モデルや女優というのはやっぱりプロフェッショナルだと感心してしまう。

どの雑誌も、主張はだいたい似通っている。女性たるもの年齢を重ねるほどに、身にまとうあれこれに自分なりのこだわりを持つのが〈大人のおしゃれ〉というものであるらしい。

言わんとするところはわかるのだけれど、最近は正直、ちょっと面倒くさい。人生で何が苦手といって面倒くさいのがいちばん苦手な質なので、年々おしゃれから遠ざかるのはどうやら致し方ないことのようだ。

二度目の夫との離婚と借金、そして“金目のもの”をかき集めて出向いた渋谷の買い取りショップで一番高値がついたもの〈村山由佳デビュー30年〉_1
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そう、最近とみに、身につけるものに頓着しなくなってきた。ふだん家にいる時はもとより、東京で人に会ったり取材を受けたりする時に着る服でさえ、昔ほどはこだわらない。素材は肌にチクチクしなければそれでいいし、締めつけが少なくて楽ちんならなおいい。欲を言えば、逞しい二の腕と、頼もしい肩幅と、ドスコイなお腹周りが目立たないに越したことはないのだけれども、そうした難点を覆い隠してくれる服というのは、値の張るブランドのメゾンなどよりもむしろ量販店や通販サイトに多い。極端な話、ユニクロとしまむらとフェリシモがあればだいたい生きていける。

靴だってそうだ。凶器のように尖ったヒールで街をがんがん闊歩していた時分はともかく、田舎へ引っ込んでからは運転と散歩に便利なぺったんこの靴しか履かなくなった。夏はサンダル、春秋はスニーカー、冬は防寒ブーツ、どれもABCマートで充分に事足りる。

あるいはまた、バッグ。一流ブランドの革製のかばんはもちろん美しいけれど、たいがい重い。重いものを肩にかければ首が凝るし、ぶらさげれば商売道具の手指に負担がかかるから、今やぺらぺらの大きな布製トート一つでどこへでも出かけるようになってしまった。買ったものをどんどん放り込めるのでエコバッグにももってこいだ。

そして装身具。かつてはアクセサリーやジュエリーが大好きだった。着ているものがたとえ白Tシャツとデニムでも、質の高いジュエリーと時計さえ身につけていれば安っぽい女にはならずに済む、そう思って吟味し、けっこういろいろと持っていた。特に腕時計は、私にとっては最愛のアイテムだった。

でも今は、ほとんど手もとに残っていない。

なぜって、あれもこれも売り払ったからだ。