「談志を知らない世代のために」太田 光×立川志らく『師匠』対談_8

談志の「大人げなさ」と弟子育成のバリエーション

志らく とはいえ私も、談志の人間性まではよくわからないまま入門して、やがてそのハチャメチャな素顔を知って頭抱えたんですが、もしあの凄(すさ)まじい落語をやる人じゃなかったらすぐに弟子をやめてたと思います(笑)。
太田 ただ理不尽なだけじゃあ、やってられないですよね(笑)。
志らく 理不尽ってことで言えばね、こんな話もありますよ。談志の十八番は『芝浜』だっていう人も多いけど、談志の本質は人情噺じゃなくて、『金玉医者』とか『疝気(せんき)の虫』あたりのナンセンスな滑稽噺なんです。だから本来は人情噺なんて大嫌いで、弟子がやると嫌がる。あるとき私が『たちきり』をやってたら、師匠がわざわざ舞台袖に来て「こいつは今、何やってんだ?」って前座に尋ねるんです。「『たちきり』です」って答えるや否や「あんなのはな、メソメソ泣いてりゃあ誰だってできる。つまんねぇ噺だ!」と大声で切り捨てる。それ、普通に聞こえてくるんですよ、高座の私にも、聞いてるお客さんにも(笑)。そういうこと平気でやる人でしたから。
太田 ひっどいなぁ(笑)。
志らく 同じく、談春兄さんが人情噺で泣かせにかかろうもんなら、ものすごく怒ってましたね。そのくせ自分の高座では『芝浜』も『子別れ』も平気でやっちゃうんだから手に負えない(笑)。
太田 人情噺自体は嫌いだけど、俺ならこんなふうに演じられるんだぞっていうのを客や弟子に見せつけたいんでしょうね。そういう意味ではほんと、ズルい師匠っていうか(笑)。
志らく そう、ズルいんです(笑)。もうひとつ付け足すと、あるとき独演会の打ち上げで談志が上機嫌な様子でこう言ったんです、「俺の持ちうるメジャーな部分をやってる志の輔、美学をやってる談春、イリュージョンをやってる志らく。3人合わせたら談志になるかな」と。
太田 あぁ、面白いですね。
志らく けど、しばらく考えたのちにこう付け加えた。「いや、やっぱならねぇか。まだ足りねぇよな」って(笑)。すごく嫉妬深いというか、自分の弟子に対しても嫉妬するようなところがあったので、だからなんというのかな――。
太田 ちょっと大人げないとこありましたよね、師匠(笑)。
志らく そう、大人げなかった(笑)。
太田 弟子のことを素直に認めたくないみたいな。ちなみに志らく師匠、自分のお弟子さんは育成されてるんですか?
志らく いや、師匠の影響か、私も弟子育成はあまり熱心とは言えなくて。
太田 けど、お弟子さん大勢いらっしゃるじゃないですか。今、何人ぐらい?
志らく えっと、17人かな。
太田 17人!
志らく だけど、辞めてった弟子も同じ数くらいいますから(笑)。初めて弟子を取るとき談志に相談したら、「面白いから片っ端から取っちゃえ!」って。
太田 そんな無責任な(笑)。
志らく 弟子入りっていうとほら、入門が許されるまでひと月ぐらい師匠の自宅に通って玄関先を掃除するとか、何度断られても食らいついてくるヤツを最終的に弟子に取るとか、談志はそういう美学が大嫌いだったから。であれば、欧米の大学みたいに、入るのは簡単だけど出るのは難しいっていうふうにしちまえって。
太田 なるほどなぁ。
志らく 同じ立川流でも、志の輔兄さんはそれこそ箸の上げ下ろしまで本当に細かく教えるタイプ。談春兄さんは弟子を怒鳴りつけて、怒鳴りつけてっていう、恐怖政治でしょう(笑)。ほんと、師匠は同じでも、師弟関係っていうのはさまざまなんですよ。

「談志を知らない世代のために」太田 光×立川志らく『師匠』対談_9

コロナ禍の真っただ中に談志が生きていたら

――今年は談志師匠の十三回忌にあたる年なんですが、志らく師匠は先日、還暦を迎えられましたね

志らく 落語家ってのは60歳からが勝負なんです。六十代が円熟期で一番いいって、かつて色川武大先生もおっしゃってた。そして、その六十代のお釣りで七十代、八十代を生きてくっていうね。

――談志師匠が亡くなったのは75歳のときでしたよね。

志らく 六十代の談志もやっぱりすごくよかったんだけど、六十代後半からは病魔との闘いだったから。もしあそこで病気に罹(かか)らず、元気にやってたら今は八十代後半でしょう?
太田 八十代の談志の落語、聴いてみたかったですね。
志らく おそらく往年の談志とは全然違う芸域に達してたはずだし、今の世の中をどう捌(さば)いてたんだろうなって、想像するだけで面白いですよね。コロナ禍の真っただ中、一体どんな様子で高座に上がってたのかなぁ、とか。
太田 談志師匠、ちゃんとマスクしてたんですかね(笑)。
志らく ああ見えてかなり臆病で、年がら年中、胃カメラ飲んで検診受けてるような人でしたからね、陰ではしっかりマスク着けて、人前に出るときだけガバッと外して露悪的にふるまうとかね、そういう感じだったかもしれない(笑)。

――今回のエッセイで初めて立川談志という存在を知る若い読者もいるかもしれません。彼らに改めて談志の凄みを伝えるとしたら、どのような点になりますか。

太田 なんだろうなぁ。やっぱり談志師匠自身が、自分は古典落語の凄さには敵(かな)わないって、生涯足搔(あが)いてた人だと思うんですね。そして自分が寄席通いをした少年時代のように、なんとかエンタメのど真ん中に落語を再び持っていきたいと足搔き続けた人でもあった。その足搔き自体が、談志師匠の凄みになってたと思うんです。その苛烈さっていうものを感じてほしいですよね。
志らく さっきも話しましたけど、名人の感性で古典やるだけでも凄いのに、そこへさらに現代を匂い立たせるのが談志の凄さです。今なら柳亭市馬師匠の古典を聴けば、誰もが「落語っていいもんだな」って思ってくれるはず。けど、そこへ現代性を自然に盛り込めたら、もっともっと凄い落語になる。それをやっていた談志の境地を、われわれは残りの生涯を懸けて目指せばいいのかなって思ってます。

「談志を知らない世代のために」太田 光×立川志らく『師匠』対談_10
「練馬の家」の庭には、かつて談志の愛した桜の木が。
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「小説すばる」2023年11月号転載

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