家族の仕打ちに傷つき、再びひきこもる
保健所の対応にはがっかりしたが、それ以上どうしたらいいのかわからない。ぼんやりテレビを見ていると、ひきこもりの特集番組をやっていた。その中で紹介された不登校・ひきこもりの支援団体に興味がわき、山田さんは訪ねてみることにした。
「その団体が本屋をやっているというので、客のふりをして行ってみようと。18歳からひきこもって12年間、この世に私のことを知っている人は家族以外、誰もいないみたいな状態だったから、誰かと話したかったんですかね」
そうやって見つけた “居場所”に週に3、4日通いながら、実家の酒屋の手伝いも始めた。商品を自動販売機に入れるのが山田さんの役割だ。実家とはいえ、ついに働き始めたのかとその一歩を周りの人たちも喜んだが、また次の壁が立ちふさがった。
「店番ができないんですよ。今もそうですが、私はあいさつとか人とのテンポの速いやり取りが苦手で……。だから、給料をもらったことはないし、たまにお小遣いをもらったくらいなんです」
山田さんの話を聞いていると、ときどき言葉に詰まり、急に黙り込んでしまうことがある。真剣に言葉を探してくれているのが表情からわかるので、インタビューということもあり、こちらも気長に待つことができるが、お客にしてみれば焦れったいかもしれない。その点、客と接しない商品補充の仕事は山田さんに合っていたわけだ。
ところが3年後、山田さんは店の手伝いも居場所だった書店通いもやめてしまう。
きっかけは、父親が独断で自宅の半分を弟夫婦のために改装してしまったことだ。山田さんは何も聞かされておらず、1人だけ蚊帳の外だった。しかも自身のスペースが狭くなった分、さらに母親のゴミに圧迫されるように……。
ショックを受けた山田さんは家族と口をきくのも嫌になり、自室にひきこもると酒を飲み始めた。3日に1本ウイスキーを空けるハイペースだ。
「毎日、ウイスキーをストレートで飲んでいたら、身体を壊しました。皮膚に吹き出物がたくさん出るようになったんですが、原因がわからなくて……」
酒を飲みながら、「みんな普通に働けているのに、なんで自分だけこんな生活をしているんだろう」という自責の念やコンプレックスに苛まれた。何年も経って、その原因に気付いて生きるのが楽になるのだが、それまでは自分を責める苦しい日々が続いた――。
山田さんが生きるのが楽になった理由とは? #3-2(後編)へ続く
(後編)『33年間ひきこもった男性が外に出ることができた意外な理由…人生で初めて働いて得た4000円で買ったものとは』
取材・文/萩原絹代 写真/shutterstock
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