自信なのか、慢心なのか
岸田政権は2022年12月、国家安全保障戦略など安保関連3文書を改定し、敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有を決めた。
原発政策では、再稼働の推進だけでなく、建て替えや運転期間の延長に踏み込む方針を決定した。
戦後日本の安全保障政策、東京電力福島第一原発事故後に堅持してきた原発政策を一気に大転換させた。
だが、岸田はその説明を尽くし、十分な議論を行ったとは言いがたい。疑問を置き去りにした方針転換に世論の評価は割れている。
自信なのか、慢心なのか。自民党総裁2期目を視野に入れる岸田は何をめざすのか。
岸田やその周辺への取材を重ねると、どん底にあった2022年12月、政権最大のピンチを乗り切ったことが、その後の「転機」となったと口をそろえた。
「『乱気流』の中にいるようだった」
「なんとしても今国会で通したい。さらなる工夫を考えて欲しい」
岸田は2022年12月、旧統一教会の問題を受けた不当寄付勧誘防止法(被害者救済新法)について、臨時国会での成立をめざしていた。その大詰めを迎え、野党から修正を迫られる中、岸田の指示で関係幹部が週末も調整を続けた。
「まるで『乱気流』の中にいるようだった」。官邸幹部は当時をこう振り返る。
参院選の最中の2022年7月8日、安倍が銃撃され、死去した。旧統一教会と自民党の関係が次々と表面化。岸田は「安倍派の問題だろう」と受け流し、対応が遅れた。独断で決めた安倍の「国葬」への批判も強まっていった。
さらに、旧統一教会の問題や失言、「政治とカネ」などをめぐって閣僚らを相次いで更迭した。その更迭の判断も後手に回り、与党からも批判を浴びた。内閣支持率は続落。政権は迷走し、追い詰められていた。
「臨時国会は間に合わない」。救済新法の成立について消費者庁幹部が早々に官邸幹部に伝えた。
それでも「来年まで引きずっていいことはない」と成立にこだわったのが岸田だった。政権をなんとか立て直したい。そんな思いもあった。
救済新法は12月10日、参院本会議で可決、成立した。岸田はこう漏らした。
「一つの区切りはついた。かなり無理をさせたが」
「岸田官邸の転機はこの時だった」。岸田と周辺の見方は重なる。岸田主導で政治と行政がかみ合い、危機を乗り越えたことが「自信」につながっているのだという。