専門家主導のアドバルーン
「エビデンス(科学的根拠)が欲しい。『えいや』では決められない」
1月中旬、岸田は口癖のように周囲に話し、ある「リスク」について悩みを深めていた。それは、「10日間への短縮で1%」「7日間で5%」とされる濃厚接触者の発症率だった。
オミクロン株は従来のデルタ株などに比べ、発症までの潜伏期間が短いことを根拠にしており、海外では5日間に短縮する動きも出ていた。
しかし、外国人の新規入国を原則禁止した水際対策を「G7で最も厳しい水準」と胸を張る岸田にとって、コロナ対策を緩める判断はためらわれた。
政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長ら専門家の有志は、7日間に短縮するよう迫り、厚労省幹部も「もう知見は出し切った。あとはリスクを許容するかどうかだ」と政治判断を待った。
「5%」のリスクを引き受けるのか――。14日、岸田が選んだのは、発症率が「1%」の10日間への短縮だった。
感染はすでに全国で爆発的に広がり、岸田の決断の5日後には、東京都など13都県に「まん延防止等重点措置」の適用を決めた。7日間への短縮は、もはや不可避にみえた。
それでも岸田は躊躇した。政権内では「政治判断は難しい」(官邸幹部)との見方が広がった。
ついに連立を組む公明党がしびれを切らして見直しを要求。政府は28日になってようやく7日間への短縮を発表した。専門家の提言から、2週間が過ぎようとしていた。
そんな岸田を専門家は、くみしやすい相手とみた。前首相の菅は専門家の意見を軽んじ、東京五輪の開催に突き進むなど、不協和音が生じた。
それに対し、岸田政権では専門家主導でアドバルーンを上げ、政府が世論の反応をみながら追随するというスタイルが確立した。
濃厚接触者の待機期間だけでなく、オミクロン株感染者の全員入院の見直しや、低リスクなら検査のみで受診せず自宅療養を可能とする措置など、従来のコロナ対策の根底を覆す転換を次々と進めた。
専門家追従のきっかけは2021年9月の自民党総裁選にあった。
激しい選挙戦の末に総裁に上りつめた岸田は、政権発足への準備を進めているさなか、いまの官邸中枢との間で「約束」を取り交わした。「専門家とはしっかり連携し、意見を尊重する」との基本原則だ。
菅前政権の反省から生まれたもので、その雰囲気を察してか、尾身は「岸田さんは話を聞いてくれる」「最終的には政治が判断すればいい」と、周囲に漏らすようになった。
ただ、蜜月にみえる政権と専門家との距離感は、誰が決めているのかを見えにくくする「もろ刃の剣」でもある。
社会機能の維持のため、対策を緩める過程で1月19日には尾身から「ステイホームなんて必要ない」との発言が飛び出し、大きな波紋を広げた。政府は慌てて火消しに走ったが、尾身のように岸田が大きな方向性を国民に示すことはなかった。
自ら方針転換のメッセージを打ち出すことは、反発のリスクをも引き受けることを意味する。専門家任せで、煮え切らない岸田の姿勢は、出口戦略を描ききれないまま、重点措置がドミノ倒しのように全国へと広がる一因となっていった。
文/朝日新聞政治部 写真/Shutterstock
#1『自民党幹部「岸田政権は鵺(ぬえ)のような政権だ」…発足当初から不安を募らせていた故・安倍晋三が菅義偉にしていたお願いごと』はこちらから
#3『岸田文雄「俺は安倍さんもやれなかったことをやったんだ」の筋違い…岸田派ブレーン木原が持った「拒否権」の威力』はこちらから