「結局は何も学んでいなかった」
「なんで進まないの。もっと増やせないのか」
岸田のいら立つ声が官邸執務室に響き渡ったのは、年が明けた1月下旬だった。
居並ぶ官邸幹部は黙ってうつむくしかなかった。岸田の手元には3回目のワクチン接種の回数が記された資料。接種回数は前日から1万回しか増えておらず、想定したペースには遠く及ばなかった。
国会に目を転じると、与野党から3回目接種のスピードが上がらないことへの批判が強まっていた。圧力に押し切られる形で、岸田は菅前政権を踏襲するかのように「1日100万回接種」を宣言せざるを得なくなった。
岸田はようやくワクチンチームの強化を指示した。
人員を20人ほどに増やし、作業部屋も大臣室の近くに戻した。政府も自治体も、ワクチン接種加速に向けた態勢が整ったのは、2月に入ってから。それでも、2回目までと違うワクチンを打つ「交互接種」への不安などから、重症化リスクの高い高齢者への接種は思うように進まず、「第6波」が長引く要因となった。
ある政府関係者は、こうため息をついた。
「菅政権もワクチンに翻弄されたが、岸田政権は同じ過ちを繰り返しただけで、結局は何も学んでいなかった」
早い段階で3回目接種の前倒しに踏み切れず、リスクを取ることなく後手に回った岸田。その後の爆発的な感染拡大のなかで、専門家頼みの対応が際立っていった。
専門家追従、「もろ刃の剣」
日本で最初にオミクロン株の猛威に見舞われたのが、沖縄だった。
在日米軍基地由来とみられる感染がまたたく間に市中へ広がり、2022年1月7日に新規感染者数が初めて1千人を超えた。濃厚接触者となった医師や看護師が出勤できないという、これまでにない問題に直面していた。
翌8日、東京都内でも2021年9月以来となる1千人超えを記録し、社会機能が維持できなくなる恐れが現実味を帯びる。当時14日間とされていた濃厚接触者の待機期間の短縮は、政府にとって急務の課題だった。