「実家が太いだけで何もない人」の悲哀

——この章では、児玉さんが横浜育ちで東京・町田の一貫校に通っていたため、東京への憧れが薄いということも書かれています。

児玉 そう、私は都会コンプレックスがないと思っていたんです。「上京」というイベントがなかったので。

でも、東京圏で生まれ育ち、「持ってる」寄りの人間とされる人のなかでも、ヒエラルキーはあるんですよね。私が通っていた母校には、別荘があったり、ハウスキーパーがいたり、実家にカラオケルームがあるような超裕福な子も。さすがに私の家庭はそこまでじゃなかったため「うちって、お金ないんだな」と長らく誤解していました。

「東京出身/成功していない、という層は可視化されていないんです」「港区女子が幸せとは限らない」児玉雨子と麻布競馬場が着目する、まだ物語になっていない都会の人々_2

麻布 強さのインフレじゃないですけど、上には上がいるんですよね。地方から来て都会コンプレックスを抱いている人って、東京に出てきている時点で地方の上澄みの層なんですよ。それなのに、都会の上澄み層ばっかり見て比較するから、どんどん卑屈になっていく。上澄みじゃない東京生まれ・育ちの人たちもいます。

児玉 私の母校は進学校じゃなかったので、「お金をかければ学力もあがる」という言説に当てはまらない世界にいたな、と思っています。女の子の中には、裕福にもかかわらず「顔がいいから教育はいらないよね?」と、学力向上の機会を与えられなかった子もいます。そしてそういう層は、文芸作品でスポットライトが当たることがあまりないんですよ。

そこを見事に描いていたのが、『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』(以下、このタワ)の「青山のアクアパッツァ」。

——学習院内部生の双子の話ですね。姉は努力して慶應で仮面浪人して浜松医科大学に入り、顔のいい妹は「港区女子」になり実家住みでパパ活をしている。

児玉 この話が素晴らしいのは、港区女子の悲哀を描いているところです。港区女子はいまや“パブリック・エネミー”と化していて、いくらでも叩いていい存在みたいに言われているじゃないですか。

でも、彼女たちには彼女たちなりの苦しみがあるんですよね。「青山のアクアパッツァ」の主人公も、全然幸せそうじゃない。

麻布 まあ、きついですよね。

児玉 私はこういう人たちが実際に周りにいたから、冷静に書けないんですよ。「港区にいるお前をタイムズカーで迎えに行って、郊外の回転寿司に連れてくぞ」といった、熱いシスターフッドしか書けません(笑)。麻布さんの書き方はちょっと意地悪だけど、敵意はない。「どうせお前ら人生イージーモードだろ」って片付けられて来た人にうまくスポットライトが当てられていて、感動しました。こういう人たちは可視化されてこなかったんですよね。

東京の私立の少中高一貫校に通っていたからといって「成功」しているかというと、全然そうじゃない人もいっぱいいるんですよね。

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