あえて名前をつけるなら「積極的な“逃げ”の移住」
藤原綾。1978年東京生まれ。編集者・ライター。
早稲田大学政治経済学部卒業後、某大手生命保険会社を経て宝島社に転職。ファッション誌の編集から2007年に独立し、ファッション、美容、ライフスタイルなど幅広い分野で編集・執筆活動を行う。
――コロナ禍でリモートワークが普及したこともあり、地方移住への関心が高まっています。総務省によれば、全国の自治体窓口に寄せられた移住に関する相談件数は約32万件で、過去最多。藤原さんが東京から鹿児島へと移住を思い立ったのもコロナが関係ありますか?
それも理由のひとつです。私は編集者やライター業をしていますが、取材や打ち合わせなどがリモートでできる環境が生まれていなかったら、地方移住の決断はできなかったと思います。ただ、コロナ禍がもたらしてくれたリモートワーク環境は移住を後押しするひとつの要因にすぎません。
――もっと大きな理由があると?
離婚している上に子どももなく、今はひとり暮らし。両親もすでに亡くなり、友人はたくさんいても、この東京という大都会でずっと生きていくことにある日、はたと気づいて不安になってしまったんです。
私は(東京都)江戸川区の下町出身で、小さい頃は周りは軒の低い一軒家がほとんどでした。関係性もそれなりにあって、正月にはご近所のおばあちゃんがお年玉をくれるような地域だったんです。
それが現在では一軒家はなくなり、跡地にはマンションやアパートが立ち並ぶ。道で会えば会話を交わすようなご近所コミュニティはどんどんなくなっていきました。当時は、それが面倒に感じることもありましたし、独り立ちしてからは気楽そのものでしたが、年をとったときに果たしてこのままで大丈夫なのかなと。
――気がつけば、1400万人の大都会・東京でぽつんとひとりというわけですね。
友人は東京のあらゆるところに点々と住んでいるため、地域の繋がりがないことに不安を感じるようになったんです。東京は厳しい競争社会だし、直下型大地震の災害リスクもある。なのに、非常時に近隣で助け合えるコミュニティがないんですね。私はいま40代ですが、このまま東京でシングル暮らしを続けていった時に、もしも私が部屋で死んだらだれが見つけてくれるのかなと考えるようになりました。
幸い、リモートワークの普及で地方にいても様々な仕事をこなせる。だったら、コミュニティの乏しい都会より地域の関係が濃厚な地方で暮らそうと思いました。それが女フリーランス・バツイチ・子なしの私が地方移住を決断したもっとも大きな理由です。
――ご自分の移住に名前をつけるとしたら、どんなタイプの移住になりますか?
多忙な都会を避け、地方でのんびり暮らそうと思ったわけでもない。今流行りの持続可能な暮らしを求めてというわけでもない。基本は都会で孤立する不安からの“逃げ”です。ただし、消極的な『逃げ』じゃない。もっと前向きというか、積極的な“逃げ”の移住ですね。