神も仏も滑稽に。江戸文学のポップな懐の深さ

麻布競馬場(以下、麻布) 児玉さんの『江戸POP道中文字栗毛』(以下、江戸POP)は「よみタイ」で連載されているころから読んでいたんです。

児玉雨子(以下、児玉) わぁ、ありがとうございます!

“都会コンプレックス”はいかにして生まれるのか? 「『文化資本がないから東京出身の金持ち育ちに勝てない』というのは、行動しない地方出身者の免罪符」《児玉雨子×麻布競馬場》_1
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麻布 僕は受験勉強の申し子なので、教科書で取り上げられるような古典の名作は一通り読んでいたんです。でも、江戸POPで取り上げられている作品のことはほとんど知らなくて。

おそらく、受験生が読むような古典は、ある種のフィルターを通ったものなんですよね。「品性のフィルター」というか。濾過する前の江戸文芸作品には、こんなにポップな作品があったのか、ということにびっくりしました。

その中でも特にすごかったのは、千手観音の手を貸し出す話。

——1785年の黄表紙(※1)『大悲千禄本(だいひのせんろっぽん)』(芝全校作・北尾政演画)ですね。商売人が千手観音にお願いし、腕を切り落として「手を貸す」商売を始める話で、戦で腕を切り落とされた武将や遊女、染め物師などさまざまな人が腕を借りに来る荒唐無稽なストーリーが繰り広げられます。

児玉 『忠臣蔵』のような話はドラマや映画で何度もこすられてきたけれど、金儲けのために千手観音の手を貸し出す話はお茶の間で観られないですよね(笑)。

麻布 本文中にも「千手観音という聖なる存在の卑俗化」と書いてありましたけど、聖と俗の対比が半端ない。ぬか漬けを漬けるくらいならまだしも、千手観音の腕を性交に使うなんて……発想がすごい。

児玉 江戸POPの本文ではオブラートに包んでいるんですけど、元の『大悲千禄本』に下ネタもなくはないですね。言葉遊びが散りばめられていて、歴史や伝説を元ネタにした笑いどころも多いので、教養のある大人向けの作品なんです。

麻布 「人生に影響を与えよう」とか「泣かせよう」といった意図がなく、ただおもしろいだけという江戸の「滑稽」が詰まっている作品だと書いてありました。それってすごくいいですよね。バカでくだらなくておもしろいって、ひとつの価値だと思います。

現代では「泣ける」とか「共感できる」といったエンタメがヒットしますけど、そういうものばかりじゃなくてもいいですよね。江戸文化の豊かさを知りました。

“都会コンプレックス”はいかにして生まれるのか? 「『文化資本がないから東京出身の金持ち育ちに勝てない』というのは、行動しない地方出身者の免罪符」《児玉雨子×麻布競馬場》_1
新刊『江戸POP道中文字栗毛』の著者・児玉雨子さん
“都会コンプレックス”はいかにして生まれるのか? 「『文化資本がないから東京出身の金持ち育ちに勝てない』というのは、行動しない地方出身者の免罪符」《児玉雨子×麻布競馬場》_1
『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』の著者・麻布競馬場さん

(※1)江戸時代中期から後期に生まれた、しゃれや風刺を特徴とし、絵を主として余白に文章を綴る草双紙