東京のアザーサイド・多摩地区は、永遠の発展途上エリア?
まったく個人的な話だが、僕の出身地は東京だ。
でも自己紹介をするときにはいつも、「一応、東京出身です……」と、ややうつむきがちになってしまう。
東京23区の「都内」ではなく、その西側に広がり「都下」と呼ばれる多摩地区、中でも忘れられがちな東久留米市の出身だからだ。
多摩地区出身者の多くは、日本中どこの出身者もそうであるように、自分が生まれ育った土地に対して少なからぬ愛着や誇りを持っているはずだ。
反面、“東京生まれ”という言葉が持つ華々しさとは縁遠い生い立ちや境遇に、複雑な思いをいつまでも持ち続けることもあるだろう。
この僕が、まさにそうであるように。
53歳の僕が子供の頃の話だけど(でも、根本的には今もあまり変わらないと思う)、生まれ育った地元・東久留米の記憶は、畑や空き地、川や林がたくさんあり、庭にヘビが棲んでいたり野鳥が飛び交っていたり、家の前の道路をタヌキがうろついていたりした相当な田舎だ。
小学校や中学校の通学路に、信号はひとつもなかったし。
一方で、都内に通勤する人のベッドタウンでもあるため、古くから大型公団住宅などが開発され、僕の暮らしていた頃も畑や空き地をつぶして、マンションや建売住宅が続々と建てられたり、駅前が大々的に再開発されたりしていた。
だから地方によくある固定化した不変的田舎ではなく、“永遠の発展途上エリア”という感覚も強い。
いくら発展しても、先進都市である東京23区内にはいつまでも追いつけないという意味で、永遠の発展途上と言えるわけだ。
そんな東京のアザーサイド・多摩地区出身者は、本物の都会である東京23区内出身者に対して、そこはかとない嫉妬と羨望の気持ちを抱いていることを隠しきれない。
そのくせ、なんともいやらしいことに、東京以外の出身者に対しては、これまたそこはかとない優越感を抱いていたりするのである。
そんな僕って何?
多摩って何? と思い、ちょっとだけ深く考えてみることにした。
地域差別論的なものではなく、リアルな多摩地区出身者である筆者個人の、主観中心、感想含みの与太話に過ぎないので悪しからず。
また、本人が多摩地区出身か、身近にそんな人がいない場合はピンと来ないだろうし、基本的に新しい情報もないけど、よろしければお付き合いのほどを。