小柴博士は子どものころ、「将来は音楽家か軍人になる」という夢を抱いていたそうです。しかし旧制中学時代に小児麻痺にかかってしまいます。その後遺症により、小柴少年は、音楽家になるという夢も、軍人になるという夢もあきらめざるをえませんでした。
ところが、その病床で小柴少年は物理学に出合うのです。当時の、学校の担任の先生が小柴少年に、アインシュタインらが書き記した『物理学はいかに創られたか』(岩波新書)という本を贈ったのだそうです。このことが何十年ものちのノーベル賞受賞へとつながっていくのです。
また、同じく化学者の田中耕一さんは、就職活動で第一志望だった家電メーカーを落ちています。「人の健康に役立つ仕事がしたい」と考えていた田中さんは、入社が決まった島津製作所では医用機器事業部への配属を希望していました。しかし入社後の配属先は「中央研究所」で、そのことに田中さんは最初、少しがっかりしたといいます。けれど、この中央研究所での研究がのちのノーベル賞受賞へとつながるのです。
このように、一見マイナスに思えた出来事がのちにプラスに転じることは、私たちの身の回りでも少なくありません。とくに運がいいといわれる人には、過去にマイナスの出来事を経験している人が少なくないように思います。
マイナスを引き受ける度量を持つ
彼らに共通するのは、自分にマイナスの出来事が起きたときに、けっして自暴自棄にならないこと。もちろん、一時は嘆き悲しんだり、苦しんだり、落ち込んだりもしたでしょう。とことん打ちのめされたかもしれません。
でもやけっぱちにはならない。ふてくされたり、何もかも投げ出したりはしないのです。ある意味、マイナスの状況をいったん引き受けているのです。そして「では、どうするか」と切り替えている。
一方、運の悪い人というのは、自分にとってマイナスの出来事が起きたときに、それにあまりにこだわりすぎてしまいます。「ああ、最悪だ、もうだめだ」などと考えて、自暴自棄になる。すべてを投げ出してしまう傾向があるように思います。
マイナスの出来事とひと言でいっても、その内容は千差万別でしょう。大きな打撃を与えるものもあれば、小さな痛手ですむものもある。しかしそのほとんどは、大局からみれば、そのときどきの揺らぎのようなもの、そのときどきの目先のことである場合も多いのではないでしょうか。
よって、たとえマイナスの出来事が起きたとしても、その結果にあまりこだわりすぎない。マイナスの結果にあらがうのではなく、その状況をいったん受け入れてみる。簡単なことではないかもしれませんが、まずはその努力をしてみる。
そして、ではこのマイナスの状況をどう生かすかと考える。それができる人が運のいい人といえるように思います。
文/中野信子 写真/shutterstock
#1 「ポジティブな祈り」をしている人にかぎって運がいい科学的根拠。脳は「よい祈り」と「悪い祈り」をシビアに判別していた!