北京の空は七色に変わる
それでも、2023年時点でも抜本的な解決には至っていない。
微小粒子物質PM2.5による大気汚染は相変わらず深刻である。中央政府は時折、工場の操業をやめさせ、厳しいマイカー規制を敷いたりしている。
2014年11月にアジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議が北京で開催された。その期間中、工場の操業停止や車の通行規制により北京の空からスモッグが消え、久々に青空が戻ったことは、日本のメディアでも伝えられた。しかしそれも束の間、会議が終わるとすぐさまいつもの〝北京グレー〟に戻り、中国のメディアやネットでは、皮肉交じりに「APECブルー」と呼ばれた。
日本も同じような試練に晒された時代があった。1950年代半ばから1970年代初めにかけての高度経済成長期には、工場からの煤煙を「これが日本の活力の象徴だ」と歓迎していた。重工業地帯の北九州市などでは、排煙に覆われた空を「七色の空」とポジティブに捉え、誇りにさえしていた。筆者も高知で小学生のころ、近所の製紙工場の低い煙突から校庭に石炭の煙が流れてきて、みんなそれを平気で吸い込んでいた。そういう時代だったのだ。
ところが、各地で公害病が頻発し、産業界もメディアも発想の転換を迫られた。利権にまみれた政治家ですら、世論の高まりを受けて反公害が選挙で有利だと見るや、「公害は退治しなければいけない」と言いだした。企業城下町で、日ごろ大企業に頭が上がらなかった政治家や役人たちが、あっという間に変化した。これが民主主義というものだ。