「ブームを呼ぶ男」になってほしいと名付けられた名前
身長2メートル、体重100キロ。
これが、ブーマーのプロフィールだ。なんともキリの良い数字だが実寸がどうだったかは定かではない。ただ、「デカい」ことだけはひしひしと伝わってくる。
今でこそ、ダルビッシュ有、大谷翔平、藤浪晋太郎、佐々木朗希といった190センチオーバーの日本人選手も増えてきたが、1980年代はプロ野球選手と言えど、そこまで大柄な選手は滅多にいなかった。
そんな中、突如来日した身長2メートルの大男。メジャーリーグでの実績は2年間で47試合出場、打率.228、本塁打は0。いわゆる“バリバリのメジャーリーガー”ではない。それでも、春季キャンプから打撃練習で場外弾を連発。その様子をテレビのニュース映像で見た高齢者が心臓発作で倒れてしまった……なんてエピソードまである。
ちなみに、“ブーマー”という登録名は球団が「ブームを呼ぶ男」になってほしいと名付けた名前。今思えば、球団の先見の明には脱帽せざるをえない。
日本球界1年目。ブーマーは121試合に出場し、打率.304、17本塁打、62打点という結果を残す。来日1年目の助っ人外国人としては十分すぎる数字だ。しかし、当時の日本球界における“助っ人”へのハードルは今よりも高かった。特に17本という本塁打数は「2メートルの怪力打者」の触れ込みからすると、およそ期待通りとは言えないものだった。
ブーマー本人も、それは重々承知していた。2年目は日本野球へのアジャストにより時間を割き、128試合で打率.355、37本塁打、130打点。堂々たる数字で、NPBにおける外国人選手初の打撃三冠王に輝いている。ちなみに、当時は連盟表彰がなかったが、171安打もリーグトップ。実質的な“四冠王”でもあった。