ハイタッチしただけで門田博光が脱臼

来日2年目で“大化け”したブーマーはその後も持ち前のパワーと高いコンタクト力を存分に発揮。阪急~オリックスで9年間、ダイエーで1年間、計10年間を日本球界で過ごし、通算打率.317、277本塁打、901打点をマーク。この間、MVP1回、首位打者2回、本塁打王1回、打点王4回を獲得している。

巨漢ぶりと豪快なスイングからどうしても“パワーヒッター”のイメージが強いが、10年間で打率3割を8回(うち、規定打席到達は6回)。通算打率.317は4000打数以上の打者では右打者史上最高と、コンタクトヒッターとしても一流だった。

写真:星島洋二アフロ
写真:星島洋二アフロ

もちろん、期待された“パワー”も三冠王を獲得した1984年から4年連続でシーズン30発をマーク。10年間で三度、シーズン40本塁打もマークしている。また、1988年に西武・渡辺久信から放った一発は本拠地・西宮球場の場外まで飛んでいく推定飛距離162メートルの超特大弾。着弾地点が確認されている本塁打としては、今なお日本最長記録と言われている。

プレー以外の“パワー”も規格外だ。1989年には本塁打を放ったチームメイトの門田博光をハイタッチで出迎えたものの、門田が右肩を脱臼。このシーンは「珍プレー」として何度となくテレビで放映された。このエピソードはブーマーの怪力ぶりを表す話としてよく用いられるが、実は門田の肩はもともと「外れやすかった」という。

筆者も門田氏が存命だったころ、このエピソードを本人にうかがったことがあるが「当たり所が悪かっただけで、ブーマーは悪くない(笑)」と笑っていた。その一方、自らは身長170センチと“小柄”な体躯で本塁打を量産していたこともあり、当時のブーマーについて「とにかくデカかった。ただ、自分より大きいからと言って、飛距離も本塁打の数も負けたくなかった」と並々ならぬライバル心を燃やしていたことも語ってくれた。