#1 「中学時代に本気で走っている姿を見たことがない」山本由伸の処世術
最後の夏に見せた〝片鱗〟 チームを全国の舞台へと導くが…
中学3年、最後の夏。結果的に全国大会出場を決めることになる夏季選手権岡山県支部予選の決勝。山本少年は腰を痛めていた。本人が「投げるのは大丈夫です」というので試合に出したが、バッティングや走塁の際に腰をかばうようなしぐさを見せ、指導者たちも「本当に大丈夫か?」と心配したそうだ。
それでも「投げます」と力強く主張する山本少年は、この試合でリリーフ登板。大事をとって2イニングだけの投球に制限したが、最後の打者を渾身のストレートで見逃し三振に斬って取った。
「キャッチャーが構えたミットに寸分たがわぬコントロールでバシッと決めましたね。あの一球は、私たち指導者も一生忘れないと思います」
身体に異変を抱えながら、意地の投球でチームを全国へと導いた山本少年。
その姿は背番号4ながら、エースのそれだった。
「普段はちゃらんぽらんな一面もあったんですけど、そういう場面では底力を見せるというか、芯は強かったですね。野球が好きで、もっと野球がやりたいという強い気持ちを感じました」
中学最後の夏、晴れて全国大会に出場した東岡山ボーイズだったが、1回戦で高崎ボーイズを相手にコールド負けを喫する。この試合、先発したエースの馬迫が打ち込まれ、山本少年がリリーフでマウンドに上がったが、流れを止めることはできなかった。
「のちに八戸学院光星に進学する桜井一樹という選手に2打席連続ホームランを打たれました。そのうち一本は由伸が打たれたんじゃないかな。レフトスタンドに突き刺さるような、強烈な一発でした。上には上がいる、ということを痛感した試合だったと思います」
中学校最後の舞台で、全国の厳しさを身を持って体験した山本少年。その経験もまた、のちの成長につながったのかもしれない。小柄で、投打ともに器用にこなした山本少年だが、指導者にとっては、どこにでもいそうな、普通の野球少年だったという。
「大きな悪さをするわけでもなく、真面目すぎるわけでもない。先ほども言ったように練習で手を抜くようなこともありましたけど、中学生くらいはそれも普通です。友だちも多くて、下の年代の子たちの世話もよく見る。
手のかかるタイプでもなかったですね。たとえば、プロに行くような選手だから当時から我が強くて、ワガママだったとか、そういうこともなかったです」