祖父・岸信介に対する思い

かつて安倍は筆者に祖父・岸信介についてこう語ったことがある。 

「私は、祖父・岸信介の背中を見て育ち、政治家になる決意をしました。祖父は、安保改定に政治生命をかけて、取り組みました。それは、"政治家にしかできないことがある。それは国の骨格について、しっかりと考え抜くことだ"という強い思いを持っていたからだと思います。 

祖父は、日米安保条約の改定に尽力しましたが、それだけに力を注いでいたわけではありません。国民皆保険を確立し、最低賃金制・国民皆年金など最善の社会保障制度を整え、福祉国家の骨格を作ったのも岸政権です。また、高度経済成長がスタートしたのも、実は岸政権のときです。

しかし、祖父は、内閣総理大臣のポストの座にしがみつこうとは考えなかった。内心、少しでも長く総理として日本のために力を尽くしたいという思いはあったはずです。が、その思いよりも、いましかできないことを成し遂げる道を選んだのだと思います。 

安倍洋子「晋三の性格は父親、政策は祖父の岸信介だった」…国葬儀の式壇に置かれた安倍晋三の議員バッジともう一つのバッジ_3

政治家には、その政治家にだけ与えられた使命があります。私自身も心に強く誓ってきました。政治家は、いま何をすべきか。そのことを、問わなければならない。選挙に有利か、不利か。世論の支持を受け入れるかどうか。必ずしもそんなことばかり考えるのではなく、それを超えて判断しなければならないものがあるのです。 

その一方で、私は、祖父がかつて語っていたことを思い出すこともあります。
 ”総理経験者がもう一回、総理をやることは、日本にとってもよいはずだ”

その言葉には、実は祖父の本音が隠されていたと思います。どこかで、もう一回、総理を……という強い気持ちがあったのでしょう。

祖父は、山口県で町一番の秀才として名を馳せ、東大でも同窓で親友だった我妻栄(東大教授、民法学者)とトップを争いました。

農商務省に入って以降も、“私がこの役所を担っていくんだ”との強い気概を持ち、四十五歳で次官になっています。エリート中のエリートであった祖父は、総理を退いたあとも、“いつか、また、私の才能が必要なときがくる。私を必要とするときがやってくる”と強く思っていたのだと思います。残念ながら、そのときは訪れませんでしたが……」