演歌歌手の小林幸子のマネージャーを務めていたことも。中澤さんの驚きの半生はこちらから
これまでに120人以上もの不良の更生を手助けしたという伝説の保護司が東京都江東区にいる。20年間、保護司として奮闘し続けた中澤照子さん(81)だ。
保護司とは犯罪や非行をした人の立ち直りを支える非常勤の国家公務員だが、給与は支給されない、いわば民間のボランティア。
かつて保護司の定年は75歳だったが、中澤さんは2年間延長して77歳まで務め、4年前に定年を迎えた。
誰よりも不良少年たちに信頼された保護司がふるまう、1皿のカレーは「更生カレー」と呼ばれ、今も愛され続けている。
更生カレー
東京・地下鉄有楽町線の辰巳駅から地上に出ると、古くからの団地がズラリと並んでいる。
約50年前、東京湾の埋立地に作られた総戸数3300戸の辰巳団地だ。都内でも有数のマンモス団地はどこかノスタルジックな気持ちにさせる一方で、辰巳桜橋を渡った先には団地の群れに対面するように東雲の高層タワーマンション群がそびえ立っている。
中澤照子さんが店主を務めるカフェLALALAは、辰巳駅から徒歩1分。お店を訪れると「はじめまして」ととても優しい笑顔で中澤さんが出迎えてくれた。
この日はかつて中澤さんが担当した「対象者」の人達もお店に遊びに来ていた。彼らに中澤さんについて尋ねてみる。
「中澤さんのことは小学生の頃から知っていましたよ。中澤さんが住んでる団地は小学校の目の前というか隣ですから。小学校の低学年の時は、知らないおばさんがやっほーとか、おはようと声をかけてくるので、不思議な大人だなと思っていました」
そう語るのは自営業の男性Aさん(29)。Aさんは少年時代に共同危険行為と傷害を行い、保護観察処分中に中澤さんが保護司を担当した。
その後も付き合いは続き、かれこれ15年以上が経つという。
「小6とか中1の頃には、周りの先輩が中澤さんのお世話(担当)になっていましたから、中澤さんのことは知っていました。自分は保護司についてもらったのはトータル2年間くらいだったかな」(Aさん)
実際に中澤さんに更生の指導を受けたというAさんに、伝説の保護司と呼ばれた中澤さんの手腕を聞いてみた。