更生カレーが生まれたきっかけ
「中澤さんは面談中、基本、寝てましたね(笑)」(Aさん)
お店で働いていた中澤さんが、すかさず「面白いこと言うね!」と合いの手を入れる。Aさんは子供が悪戯を見つかった時のようににっこり笑うと続けた。
「それは冗談です。月に1回とか2回の面談を受けていましたが、その時は普段の緩い中澤さんではなく、シャキッとされていて、親とか友達を悲しませるようなことしたらダメだよって本気で向き合ってくれました。
その頃自分は既に働いていたんですけど、寝坊がひどくて2日連続で寝坊したりしていたんですよね。そしたら保護観察期間中の誕生日に、中澤さんから目覚まし時計をもらって。それから今日まで、病気以外ではずっと無遅刻無欠席ですね」(Aさん)
やはり中澤さんを裏切れないという思いだったのだろうか。
「その時はそういう深い感情はなかったんですけど、とにかくうるさい目覚ましで、物理的に起きてしまうんです(笑)。でも、中澤さんとは今でもご飯を食べに行ったりしますし、本当に家族みたいに思ってるんですよ」(Aさん)
中澤さんを慕ってお店を訪れていた、自営業のBさん(29)も語ってくれた。
「自分は刑務所から最近出てきたのですが、保護司として直接中澤さんに担当してもらったことはないんです。それでも中澤さんとは仲良くさせてもらってます。
カレーも昔はよく食べさせてもらいました。味はもちろんうまいんですけど、ガキの頃に仲間と食ったカレーという感じで。特別な思いがあって一言では語れないですね」(Bさん)
中澤さんの代名詞でもある「更生カレー」だが、これはお腹を空かせた1人の暴走族の少年に、中澤さんの自宅でカレーを腹いっぱい食べさせたところ、食べられなかった暴走族の仲間が続々と集まりだしたとのがきっかけだという。
中澤さんは笑って語る。
「その日に食べられなかった子や、呼んでもらえなかった子が、俺も、俺もと言って食べに来るようになりました。私も『ウチはカレー屋じゃないんだよ』、と言いながら、四六時中家でカレーを作るようになっちゃってね。
狭い団地だったから、みんなの靴で玄関が溢れかえっちゃって。そのうちウチの家で賄いきれなくなり、日付を決めてカレー会という形に変えたんです」