「懲役中に、中澤さんの『更生カレー』が食べたいと思っていました…」
数多くの不良を更生させてきた一皿のカレーの物語
保護司とは犯罪や非行をした人の立ち直りを支える非常勤の国家公務員。だが給与は支給されない、いわば民間のボランティアである。
長く保護司として奮闘し続け、120人以上もの不良の更生を手助けしたという中澤照子さん(81)。
保護司になる前、そして伝説とも言われた保護司時代振り返ってもらい、その苦難や喜びなどを包み隠さず語ってもらった。
小林幸子のマネージャーだった
1941年に東京都文京区で生まれた中澤照子さんは、保護司になる前は観光バスのバスガイドや古賀政男音楽事務所で、歌手の小林幸子のマネージャーを務めたという異色の経歴の持ち主。
中澤さんが回想する。
「私が(小林幸子に)出会ったのは彼女がわずか10歳の時でした。なにしろ可愛い子で、教えられたことをどんどん吸収していく天性の才能の持ち主だった。
保護司の活動で2018年に藍綬褒章(らんじゅほうしょう)を授与された時も、『着ていく物がないから皇居には行かない』と私が言っていたら、彼女の衣裳部屋に招かれてこの老女にどうにかカッコつけさせようと着物を着せてくれたの。
とっても幸せな時間でした。私はこれまでもこれからも流れるようにしか生きられないと思うのだけど、人との繋がりだけはずっと大切にしていきたいんです」
中澤さんにとって、声かけは「種まき」。種がどんな風に育つかは誰にもわからないが、保護司になる前も保護司になった後も、そして保護司を辞めた後も一度声をかけた人との縁を大切にしているという。
実際に様々な繋がりを持つ中澤さんは、人気インフルエンサーで『飛鳥クリニックは今日も雨』(扶桑社)の著者、Z李氏ともひょんな事で出会い、Z李氏が行う炊き出しを手伝いながら更生カレーをふるまっている。
Z李氏が語る。
「中澤さんが保護司を担当していたエリアに、2世以降の中国残留孤児らが中心となったグループがいた。手の付けられない凶悪グループとして有名だったが、中澤さんがいたからこそ、暴れていた彼らが地元では率先して地域貢献しようとしたんだ。すごい人だよ」