王者だけが見られる景色

リンクに立った宇野は、『Gravity』の旋律に自然と体を動かした。

冒頭、4回転フリップを成功。2.99点ものGOE(出来ばえ点)がついた。4回転トーループ+2回転トーループのセカンドは3回転が予定構成だったが、とっさの判断だった。

「まずは単発のトーループを降りて、と思って(セカンドは)トリプルやろうか迷ったんですが、構えは踏み切りはダブルだったし、中途半端にやってこけてしまうのは最悪なので」

その判断も、世界王者がなせる業だろう。わずかな迷いが、すべてを狂わせる。そこに常勝選手と惜しい選手の差がある。

「今までの練習は無駄ではないので、気持ちひとつで投げやりにならず。たとえできなくても最善を尽くそうと思っていました」

彼は「自分」と対峙していた。シーズン開幕前に掲げた道標だった。

ハンデを背負う中で挑んだフリーは、各選手がしのぎ合うハイレベルの競争になった。

ジェイソン・ブラウン(アメリカ)が高い演技力を見せる。ケビン・エイモズ(フランス)も精密な演技で自己最高得点を叩き出す。さらにチャ・ジュンファン(韓国)が想像以上の滑りで、合計296.03点でトップに躍り出た。マリニンはジャンプが決まらず、チャを超えられなかったが……。

<大きなミスは許されない>

人と自分を比較していたら、巨大な重圧に押しつぶされたはずだ。

宇野は決然とした顔つきでリンクに入り、集中の密度は周りに伝わるほどだった。ひとつ大きく息を吐いて、スタートポジションでしゃがみ込む。

会場に『G線上のアリア』のバイオリンのたおやかな音が鳴ると、静かな予感が漂う。彼は音に拾って、おおらかに両手を羽ばたかせるように立ち上がり、演技に入った。

冒頭、4回転ループを完璧に着氷した。右足首のケガをものともしない。

「試合中は痛み以上に集中している」と宇野は言う。

4回転サルコウは着氷がやや乱れたが、4回転フリップは浮き上がるような高いジャンプで成功させた。トリプルアクセルも降りて、コレオ、フライングキャメルスピンも隙がなかった。

「あと一個は失敗しても大丈夫だけど、大きなミスだとあやしい」

彼は頭をフル稼働しながら、演技後半に向かったという。

曲が『Mea tormenta, properate!』に変わってテンポが激しくなると、宇野は嵐の中を突き進むような滑りを見せる。

懸案だった4回転トーループを成功。次は4回転トーループのセカンドで着氷が詰まるが、「GO」と言うランビエルの声を背に、セカンドで1回転トーループをつけた。

「ダブルトー(2回転トーループ)をつけても1点ちょっとしか違いはない」との判断だったが、セカンドなしだったら、リピートになって大幅に点数を減らしていた。

そしてトリプルアクセル+ダブルアクセル+シークエンスを華麗に決め、高得点を叩き出した。冒頭に記したように、着氷直後には笑みを抑えきれなかった。

「不安はありました。たとえ足が治ってもコンディションはよくなかったので。ただ、朝の練習、6分間練習でやれるイメージは湧いていました。

もう一回やったら、(優勝は)絶対無理だなと思います(苦笑)。もっとやれたかもしれませんけど、今何ができるかと言われたら、『これ以上できない』と言い切れます」

前人未到の世界選手権連覇後、王者はそう振り返った。宇野だけが見られる景色が広がっていた。

「自分が求めるのは、結果以上に自分が演技を見返したときにいいなと思えるかどうか。この2年間それができているか?と言われたら、『うん』とは答えられなくて。

2年前まで成績が出ず、まず成績出したいというのがあって、成績が出たのはうれしいですけど、成績を目指したスケートになっているという気もします」

その飽くことのない自己探求が、彼を不死鳥にしたのだろう。

「憧れの高橋大輔さんのように、楽しいスケートを体現できているか。その先に、自分が今後スケーターとしてどうしたい、が見つかるといいなと思っています」

表現者として、宇野は異次元に入る。

文/小宮良之
写真/AFLO

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