栗城さんから返却されたユマールに挟まっていたもの
「ええっ! 登ってしまったか!」
技術も経験もない後輩が偉大なるデナリに登頂した……森下さんは悔しさを感じないわけではなかったが、むしろ「無事で何より」と安堵した。
帰国した栗城さんとどんな言葉を交わしたのか、と私は尋ねた。すると森下さんは、口の中で小さく噴き出した。
「何をしゃべったかは覚えていないんですけど、あいつがユマールを返しにきたときの記憶は鮮明です。汚れていて埃っぽくて、金具に……陰毛が挟まってたんですよ。普通、人に貸してもらった道具はきれいにして返すじゃないですか。とにかくその陰毛の記憶が強烈で、あとは覚えてないですね」
古き良き時代を懐かしむような笑みを、森下さんはしばらく浮かべていた。
「ただ、植村直己さんが遭難した山に登った栗城はすごい、って勘違いしている人も多いけど、植村さんは厳冬期に登って遭難したんです。夏と冬では難度がまったく違います。けど、この登頂が自信につながったのは間違いないでしょうね」
栗城さんの人生は、周囲が「奇跡」と呼んだマッキンリー登頂がなければ、まったく違ったものになっていただろう。
《彼にとって、どちらが良かったのか?》
……その答えは本人でさえわからないかもしれない。